Jさん44歳~アスリートとして、夫として、そして父として~

バイクと車が大好きなアウトドア派で、トライアスロンやマラソンもこなすアスリートのJさんが左大腿部の違和感に気づいたのは、ある年の春でした。

夏には痛みを自覚して病院を受診しました。診断は左大腿部軟部肉腫でした。肉腫はすでに脳、肺、脊椎、膵臓、小腸に転移していました。肺はがん性リンパ管症の状態でした。40歳代前半でこの診断を受けたJさんが、暗黒の中に突然放り込まれたような恐怖を抱いたであろうことは、本人でなくとも想像に難くありません。

手術的な治療は困難で、化学療法と放射線療法に望みをかけましたが、余命は約一年と告げられました。

そして翌年の春には小腸転移による腸閉塞症状が前面に出てきました。経口摂取はできず、消化管の除圧のために胃管が留置され、飲んだ物も含めて一日2000ミリリットル程度の液状物が胃管を通して体外へ排出されました。

栄養は中心静脈栄養に頼らざるを得ず、点滴で生命を維持していました。また脳転移の影響で右手が麻痺して、日常生活に支障が出ていました。

退院できるの?

家族は、看護師の奥さん、中学生の娘さんと小学生の息子さんがいました。

家族四人全員がJさんの病状や予後を知っており、みんなで病気と闘っていましたが、本人は体へのこだわりが強く、自分が納得した薬剤しか受け付けませんでした。

奥さんは介護休暇を取って自宅で最期の時間を過ごしたいと思い、私たちの訪問診療を希望されましたが、本人は「こんな状態で家に帰って療養ができるのか……」と、退院に対しては懐疑的でした。

というのも、娘さんの修学旅行が間近に迫っており、自分の体調が悪化すれば旅行をキャンセルせざるを得なくなると心配しているようでした。

さらに自宅に帰って自分一人でトイレに行けるのか否かということも、Jさんにとっては大問題でした。

結局さまざまな調整をして、訪問診療、訪問看護をほぼ毎日入れて濃厚にサポートしていくことを約束して、退院の運びとなりました。

家に帰って何をする?

ゴールデンウィーク半ばの5月3日に退院し、同日に私たちの初診となりましたが、Jさんは胃の膨満感と咳き込むことがつらいと話しました。

退院に際して、咳き込み時の頓服としてモルヒネの内服薬が処方されていましたが、内服時には胃管を一時的に閉塞せねばならず、本人は頓服を使いたがりませんでした。

また退院前の心配どおり、自力ではトイレに行きにくく、日々できないことが増えていく自分がつらく、どうしても感情の起伏が激しくなり何かと奥さんに当たっている様子でした。

麻薬をフェンタニルの貼付薬に変更し、レスキューをモルヒネの坐薬として本格的に医療用麻薬の使用を開始しましたが、Jさんの咳き込みや全身倦怠感は期待したほど改善されず、五月一一日に麻薬の使用法をモルヒネ注射液によるPCA(patient controlled analgesia:自己調節鎮痛法)に変更しました。

その結果、咳き込みは幾分抑制され、全身倦怠感も取れて、会話がしっかりできるようになりました。そのことで精神的にも安定し、Jさんは穏やかな顔となりました。

五月一二日には訪問リハビリテーションが開始され、ベッドをトイレに近い場所に移動し、点滴ポールを杖代わりにして奥さんの付き添いでトイレに行くことになりました。

少しずつ「できないこと」ではなく「できること」にJさんの意識が向き始めましたが、ここでリハビリテーションスタッフが素敵な情報を察知しました。写真館で記念写真を撮ろうという計画です。

娘さんにウエディングドレスを着せて、Jさんはタキシードを着て撮るという計画です。その話題の中で「写真館ではなく、自宅のリビングで撮ったらいい」ということになったようです。

翌5月13日は娘さんが修学旅行に出発する日でしたが、Jさん夫婦は無事「行ってらっしゃい」を言うことができました。