西村は26歳の頃に緑内障に罹った。緑内障は遺伝的な要因もあると言われている。しかし、血縁関係のある人たちの中に、緑内障を患っている人はいない。ただ一人、父親の兄(長男)は、緑内障になってしまっている。ただし、その原因は明らかである。父の兄は役所の事務作業をしていた。
病気の原因は、その事務作業が極めて細かい仕事であり、しかも照明がよろしくない。薄暗い環境で事務作業をしたことによる。
西村の場合は細かい設計の仕事と油絵を描くなど目の酷使による。眼球はコチコチに硬くなっていた。その目には、「細くて白い雲が流れるような現象」が見えた。だがそれでも異変とは感じていなかった。
たまたまその頃、東京で大工をしていた母の弟が失明した。西村は叔父に電話をした。ところが、失明の直前に「細くて白い雲が流れるような現象」が見えたとのことであった。自分が見たものと同じだった。これは大変である。急いで眼科医に駆け込んだ。眼圧は30前後で、極めて高かった。
「あなたは、失明しますよ」と医者が言った。廊下のソファで私が頭を抱えていると、看護師たちが西村の目について語る囁きが聞こえて来た。
西村はすぐに仕事を変えてもらった。会社側の呼応がありがたかった。緑内障の治療はずっと続けてきている。失明をまぬがれた。今思えば、奇跡的である。本当に「運」が良かった。
緑内障になった時には、西村から笑いが消えた。妻も無口になった。辛い過去であった。
そんな緑内障について思い返していると、今度は、自分の睾丸がカボチャのように膨らんだことが思い出された。何でこんなことを思い出すのだろう。思い浮かべる連想とか空想は、コントロール出来ない性格のものだから仕方がない。
西村の睾丸がカボチャと化したのは、2012年12月30日のことであった。西村は朝から、脚立に乗って洗車をしていた。そそっかしいのか。脚立を踏み外してしまった。どうやら睾丸を激しく押しつぶしたみたいだった。午後3時頃、放尿した。睾丸がヒリヒリと痛かった。痛みはともかく、驚いた。睾丸がカボチャの如く膨れ上がっていたのだ。すぐに病院の救急室に行くことにした。恥ずかしいから、隣の市の総合病院へ行った。ありがたいことに、担当医は泌尿器科の先生であった。
ベッドに寝かされ、睾丸が丸出しとなった。二、三人の看護師も睾丸をじっと見ていた。だが、さすがに「まあ!」とか「凄い!」という言葉は発しなかった。西村は覚悟した。医師が注射針か何かで睾丸の液体を抜くだろうと……。ところが、医師の言葉は「そのまま放っておきなさい」であった。
カボチャは大きくなったままで、男性たる「茎」は埋没していた。明くる年の1月3日頃から、カボチャは小さくなって来た。はっきり覚えていないが、12〜13日頃には、すっかり元通りになった。
その時、西村はリンパ液が、身体中を巡り回っていることを痛感した。同時に「命の大切さ」を改めて認識した。