自分が嫌いだと言う人は、自分の欠点を受け入れがたいからです。自己受容ができている人は、自分の不完全さを知っており、そのことを感情的になって自分を責めることはしません。不完全である勇気を持つことです。

自分を好きになる方法として、短所を長所に置き換えてみることです(*2)。

例えば、気が小さいことを短所だと思っている方は、慎重であり軽率な行動をしないという長所に置き換えて表現します。

次に「他者信頼」です。

信頼とは、無条件で他者を信じることで、信用とは意味合いが違います。信用は、ある条件を担保とします。経済の世界で言えば、信用取引です。これを信頼取引とは言いません。

信頼は、課題の分離ができていれば、人間関係をヨコの関係で築く手段です。この段階まで行けば、他者を敵ではなく、仲間として捉えることができます。

これは、ライフスタイルの世界像(まわりの環境をどう見るか)と関連します。最後に「他者貢献」です。他者に働きかけて貢献することです。貢献できたときにだけ、自分の価値を実感できます。

他者への関心では、アドラーは「共感」を重視します。具体的には「他の人の目で見て、他の人の耳で聞き、他の人の心で感じる。」(『アドラーを読む』)とアドラーは述べています。

これは、一言で言えば「他者の関心事に関心を持つ」ということです。

共同体感覚の定義

共同体感覚とは、仲間に関心を持ち、自分は共同体の一部であり仲間と共に生きていると共感すること(絆の感覚)である。具体的には、自己受容、所属感、貢献感、信頼感という感覚から成り立つ。

共同体感覚でライフタスクを解決する

共同体感覚と優越性の追求との関係を見てみます。

アドラーは、「真に人生の課題に直面し、それを克服できる唯一の人は、その[優越性]追求において、他のすべての人を豊かにするという傾向を見せる人、他の人も利するような仕方で前進する人である。」(『人生の意味の心理学』(上))と述べています。

傍線の部分(筆者が付記)が共同体感覚を有する人です。

ここで重要な指摘は、ライフタスクを克服できる人は、自分のためだけに優越性を追求するのではなく、他者にも貢献できる共同体感覚を持った人と言うことです。他者に貢献している充足感が、幸福感になり人生に意味を与えます。