調査報告 韓国「難」氏について

石井陽子

結論として、韓国で「難」(nan)という姓は確認できませんでした。ただし、「欒」(韓国語でnan、本来の読み方ではran)氏の存在が確認できました。

調査方法は二〇〇八年八月三日から同十七日まで、韓国のウェブサイト上で一九八五年と二〇〇〇年に実施された人口住宅総調査(日本の国勢調査に該当するもの)の人口順姓氏目録を参照しました。

これによると、「難」氏は確認されませんでしたが、「欒」氏は二五一位に二三世帯、人口八〇人存在するとのことです。同目録には、これ以外に「nan」という発音の姓はありませんでした。

韓国での姓氏の使用については正確な年代ははっきりしないが、漢字など中国文化の導入により早い時期から取り入れられていたと推測される。氏族社会とその集団を統治する支配階級が発生したことで、他の氏族や被支配階級と区別するため、政治的身分を現す目印として使われるようになった。

『三国史記』『三国遺事』によれば、高句麗の始祖「朱蒙(チュモン)」は国号「高句麗」にちなみ、姓を「高(コ)」氏とし、朱蒙は旗下の忠臣に「克(クク)」氏・「仲室(チュンシル)」氏・「小室(ソシル)」氏などを賜ったと記録されている。

百済は始祖「温祚王」が扶餘から南下したとして「扶餘」氏と称した。新羅では「朴(パク)」「昔(ソク)」「金(キム)」の三姓が説話とともに伝えられ、瑠璃王六年に六部村長にそれぞれ「李(イ/リ)」「鄭(チョン)」「孫(ソン)」「崔(チェ)」「裵(ペ)」「薛(ソル)」などの姓を賜ったという。

しかし、この時代の姓の使用は上流階級に限られており、貴族階級でも姓を持たない人物が多かった。また、中国への留学生や貿易をする者など、外国との活動が多い階層がまず使い始めた。

三国時代、名前はほとんどが固有語を漢字の音を借りて表記したもので、現在の三文字の姓名とは明確な違いがある。新羅が三国を統一して以降、智證王の国号・王号の漢字語改正、法興王の年号・謚号使用、景徳王の二文字地名改正、文武官職名改正など一連の「漢化」措置で徐々に中国式の三文字による姓名が普及した。(ウィキペディア韓国版「韓国の姓氏と名前の歴史」抜粋訳)

思い出語り(1)共同研究会

旧知の東京古田会メンバーのTさんから、文京区民センターで開講された共同研究会について、その概要を知りたがっている人がいるので、会報に書いてほしいという依頼を受けた。