序 謎の古代歌謡
日本人は働き過ぎだと非難を浴びて休むことが奨励され、週休二日制の導入をみた。その恩恵で──こういうと組合活動をしている人には叱られそうだが、恩恵にしろ、権利にしろ一週間に二日休めるのはとにかく有難い。──休日の一日を自己啓発にふりあてることにした。
ちょうど日本を見直す気運が芽生え、比較的肩の凝らない昔語りでも勉強しようと、今はやりのカルチャーセンターなるものに通うことにした。テーマは「古事記を読む」。
平日の午前中ということもあり、子育てが一段落した知的探究心の旺盛な婦人連の中に交じって、異質な中年男子が一人。気恥ずかしい思いもしたが、払い込んだ月謝がもったいなくて、ともかく規定の回数顔を出すことにした。
『古事記』は高校・大学時代に断片的には頁をめくったこともあったが、体系的に順序立てて読むのは初めてである。神話の巻は曖昧模糊としている面が多く、中巻の神武記から開始することになった。
言うまでもなく神武は国家創業の説話を持つ人物である。ただ、それは今次大戦前の歴史的認識であって、戦後の史学においては、その後の八代(綏靖~開化)を含めて、実在を否定された天皇となっている。
読み進む中で次の一節に出会った。すなわち神武が大和入りした後、白檮原宮に宮居を定め、在地の伊須気余理比売(イスケヨリヒメ)を正妃に迎える段で、その使者に立った大久米ノ命(オオクメノミコト)のいでたちをみて、伊須気余理比売が尋ねる形をとっている。
ここに、大久米ノ命、天皇の命をその伊須気余理比売に詔る時に、その大久米ノ命の黥ける利目を見て、奇しと思ひて、歌ひたまいしく、阿米都都 知杼理麻斯登登 那杼佐祁流斗米(読み下しと通釈は武田祐吉訳註『古事記』による)