当時中心となって活躍された藤沢会長も高田かつ子さんはじめ多元の会のメンバーの中にもすでに亡くなった方もいて、若手と思っていた自分も齢を重ねて、気が付いてみたら後期高齢者の仲間入りだ。
先生の勤務先の関係で、サポート役(アシスタント的立場?)で原田実氏も同席された。何かわれわれメンバーとは異質な、一体感のないイメージだったことを記憶していますが、やはり印象のままに後年先生とは袂を分かつことになったようだ。
議論は白熱、先生の取り組んでいる最新のテーマにいち早く触れることができ、また会員の発表からもさまざまな刺激を受けた(のちに「古代随想──山上憶良とその時代」として発表)。
『魏志倭人伝』を歩く──帯方郡から女王国へ、魏使の足跡を辿って
汗牛充棟うそ八百の邪馬台国論『魏志倭人伝』を忠実に読む限り、邪馬台国畿内説は破綻した。
先年、成田空港へ家族を送った帰りに、佐倉の国立歴史民俗博物館を訪れた。ちょうど昼時で館内の食堂に入ったら、当時、館長をされていた佐原真先生と隣り合わせた。当日買い求めた先生の著書にサインをお願いしたところ、気さくに受けていただいて次のように認めてくれた。
松本清張『陸行水行』が陥ったジレンマ
古田史学の登場によって、「邪馬台国論争」は二〇世紀の遺物と化したと思っていたが、テレビ番組や雑誌の特集記事など、ひそかな古代史(邪馬台国)ブームが訪れているようだ。またぞろ旧態依然の邪馬台国論争が繰り返されるのであろうか。
『魏志倭人伝』は三世紀日本の貴重な記録として、さまざまな解読が試みられてきたが、何世紀もの間なかなか正解に辿り着けない状況が続いて、ついには「春秋の筆法」なるものが持ち出され、また「謎解き」の格好の対象として、名刑事や名探偵までが登場して各人各説が展開されている。
そんなことを感じながら、四〇年ぶりに松本清張『陸行水行』(『別冊黒い画集②』文春文庫)を読み返してみた。