意識を電子機器に移せるか?

人間の持っているような意識を、電子的に実現できるか?

さらに、自分の意識を、電子機器に移行して継続することは可能か? という問いがある。

本章の最後に、この問いに答えてみたい。既に分析した通り、意識の仕組みは、次の通りである。

・意識は、物事の快不快の強さ等をトリガーに、意識に出る物事を切り替えながら、アクションの前提条件を確認し、アクション目標を確認し、アクション目標を達成するための一連のアクションを確認しつつ実施をフォローする。

・意識したことは、快不快情報のラベル付きで記憶される。快不快の強度が強く、すぐに思い出されることもあれば、強度が弱く、忘れられることもある。

技術的に困難かどうかを抜きにすれば、こういった仕組み自体は、電子的に構築不可能というわけではないだろう。

人間の持っている意識に近いものを構築するとして、視覚や聴覚で捉える外界の様子だけでなく、内臓感覚も含めた感覚情報に、人間と同様の快不快のラベルを適切に貼り、意識の切り替えを、人間と似た優先度設定で行い、意識されたことに適切に快不快のラベルを貼り記憶する、不快の解消(や快の増大)のためアクションのストーリーを作り、意思決定の選択肢から違和感の無いものを選択し、アクションを実施・フォローする、といったことを行わなければならない。

が、頑張ればできるかもしれない。

しかし、「ある人の意識」を電子機器に移行して継続するのは、無理がある。

なぜなら、意識を構築するには、それまでに編み込まれてきた物事と、その後のすべての感覚を処理しなければいけないが、どうにか、これまで編み込まれてきた物事の記憶とそれに貼り付いている快不快情報が、電子機器に移せたとしても、それ以後の感覚は、その人の身体が無いと、同じようには、生成しようが無いから。

例えば、暫く何も食べていないと、血糖値が下がり、空腹を感じ、無口になって機嫌が悪くなる(不快)、あるいは、便秘が続いていたのが解消して気分晴れやか(快)、といったことが、その人の身体との関連で起こる。

特に、お腹の調子が、気分の快不快と直結している、というのが実感。一つ思考実験。首から下の身体が、別の人の身体に置き換わったらどうなるか。

最初は、心身がちぐはぐで違和感だらけ。首から上と下で、内分泌含めた各種システムが、別物になるわけだから、世界の感じが変わる。心身の折り合いがつく頃には、人格も変わっている、はずだ。