明純は、サクラがいなくなってから一度も口紅をつけていない。唇に指をあてると、今のぬるぬるした感触と対比したように、ざらりとした割れた唇に痛みが走った。

サクラがいなくなって二週間が過ぎようとしていた。

岬良典みさきりょうすけは諦められない

岬良典は六十六歳で、生まれて初めて山に登った。それも鬼塚からきつね温泉跡まで行って同じ道を、帰って来るだけ。

それでも足はがくがくになり、膝が笑って動けない。簡単にやってきた限界。「サクラ、おとうさん捜せない。ごめんな」良典は山に向かって頭を下げた。

同居していた三男・サクラが行方不明になって一週間が過ぎようとしていた。先週火曜日に武蔵山脈登山に出かけ戻らず、夜、妻・明純が地元の緑署に届けた。翌水曜日から金曜日まで、管轄の武蔵警察署が指揮をして捜索にあたった。

金曜日から関東の兄・ヒョウゴ・イオリが来たので、土日の二日間、続けて山岳捜索隊にお願いして、兄たちが一緒に登って捜索した。その兄たちも日曜日の夜に帰った。

今日は月曜日。サクラがいなくなって一週間、良典も明純も、ずっと仕事を休んでいる。土曜日、レストハウスで待ち合わせた時、山岳捜索隊の結城隊長から、「次の七月八日(日)に山岳捜索隊と警察との合同訓練があり、それを一斉捜索にあてる話があるから、大丈夫。若いから、まだまだ希望はある」と言われた。

それでも、良典はそれまで一週間待てなかった。妻や息子達が止めるのもきかず、個人的に登ることを決めた。武蔵警察署の坂崎から山岳捜索隊の結城隊長の連絡先を聞くと、一緒に登ってくれる山岳隊員を要請した。

そして電話をくれたのは、あの溝原朗子さんだった。溝原さんは通常山岳ガイドをしており、木曜日に登ることを約束した。

とりあえず、鬼塚からきつね温泉跡の往復を提案された。今日は月曜日、それまでじっとはしていられない。良典は目撃者の筑紫を思い出した。

筑紫の連絡先を尋ねようと、妻の明純が坂崎に連絡したが手が離せず、黒石が出て管理事務所の電話を教えてくれた。そこから、委託業者の筑紫を捜すまで、あちらこちらと電話して、やっと連絡が着いた時、良典が代わって話して、もう一度話を聞きたいと申し出た。