土着性という視点

ここまで雑念を捨てても、インド国憲法に基づいて出された、新型コロナウイルスによる非常事態宣言の都市封鎖で、2ヵ月の自宅軟禁と移動制限には困り果てました。

やはり自由権、社会権は、人間が生きていくために必要なものだと痛感しました。現代の日本でも、憲法に基づく法治国家の国民であることのありがたさは、十分には理解されていないのかもしれません。

日本の義務教育で、古事記などの歴史や伝説、あるいは日本国憲法に根差した国体の土着性について、のびやかな解釈が示されているのかどうか、長く日本を離れているので知る由もありません。

日本の国民の多くは、2000年続く日本社会の土着性への解釈さえ乗り越えれば、国際社会に出ていけます。しかしインドの国民は、生まれた部族の土着性、村の土着性、州の土着性、インドの国の土着性の解釈を乗り越えて、ようやく国際社会に出られるのです。むかし『ルーツ』という米国ドラマがありましたが、彼らはアフリカ系の土着性、米国民の土着性の両方を乗り越える必要があったのです。日本人の多くは、この点において、とても恵まれているといえるでしょう。