まずはデリー周辺から始め、西部、南部、東部と足を伸ばし、最後の到達点は、花の谷国立公園とナンダデビ国立公園でした。シークの聖地ヘムクンド湖の手前にある花の谷は、標高3500mの山中にある草原で、往復に1週間を要しました。ナンダデビは特徴のある形をした山ですが、国境線近くなので登山が許可されず、公園内から山を撮影して踏破となりました。
これらの成果を、インド日本商工会の全体総会で2回にわたり、大使館において紹介しましたが、インドに駐在する日本人の入れ替わりは早いので、それを知るかたがたは、もうインドに残っていないでしょう。
登山への挑戦
次の2年は、仕事の傍ら、山登りに挑戦しました。
インドのヒマラヤ、ネパールのヒマラヤ、アフリカのキリマンジャロ、そして夏山・冬山・岩山と、可能な限り足を向けました。登山用品をそろえるのは費用がかかるので、ロープとギア以外は、ネパールのカトマンズの登山ショップで揃えました。治安維持の関係でしょうか、インドのデリーにカトマンズのような登山ショップはありません。エベレストも挑戦したかったのですが、休暇と登山費用の工面ができなかったので、エベレストのベースキャンプから世界最高峰を眺めただけとなりました。
しかし、この山登りを終えるべき時が来ました。入念な準備にもかかわらず、ネパールのヒマラヤの山、標高6300mで高山病と低体温症を発症し、ヘリコプターでカトマンズに搬送されたのです。途中、標高4300mのシェルパ族の村の病院で2日間入院し、軽い肺水腫をなおしたのち、デリー国際空港に帰還しました。そのことがあっても、休暇日数は予定どおりのまま、休暇の延長はしませんでした。ただ、その後は登山を自粛しました。当時の関係いただいた皆様には、あらためて感謝とお詫びを申し上げます。登山用品は、すべて人に譲り、何も残っていません。
ただ、当時の名残は残っています。床に薄いヨガマットを引いて寝ることが習慣化したので、たまに出張先のホテルのベッドで寝ることがあっても寝つけません。やはり、グルガオンの我が家で床にころがるのが一番落ち着きます。