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邂逅─緋色を背景にする女の肖像


「これから話しますよ。私はそれを聞いて絶句した。なぜ、十日も知らせなかったのかとアンナさんを詰った。それでね、すぐポルトに飛んだ。私が初めて訪ねてからまだ半年も経っていなかった。話を聞いてその間の事実が判明した。酒浸りの毎日でも、ピエトロの楽しみは朝の海を見ることだったようだ。

確かに朝の空気はさっぱりとして心地良いからね。日頃、日の出の様子や、朝のたおやかな海を見ると、心が落ち着くと言っていたそうだ。朝四時頃に起きて出かけ、遅くとも九時には家に戻ってきていたようだった。

しかしある朝、いつものように出かけたが、その日に限って十時になっても、十一時になってもピエトロは戻ってはこなかった。娘ユーラさんの一件があったばかりだからね、アンナさんも胸騒ぎを覚えて、海岸を探し回ったようだ。しかしピエトロの姿はどこにも見えなかったというのさ。探し回るうちに、彼がいつも立ち寄る岩場に脱ぎ捨てられたシャツとズボンが見つかったんだ。手にとって見ると、ピエトロのものだったというわけさ」

「では泳ぐために海に?」

「そうだ。ピエトロは海に入った。それで戻ってこなかったとアンナさんは言った。警察や海難救助隊なども集まって、徹底的に探したが見つからなかったそうだ。娘のユーラさんの時と恐ろしいほどよく似た最後だった。三日間探し続けたが手がかりは何も無かった。五日目になってやっと警察に呼び出されて話し合いをしたそうだ。

『マダム、ご主人は波に呑まれ、そして溺れたと思われます。あの辺りの沖合で攫われると、まずもう駄目だと思います。なにしろ潮の流れの早くて強い場所ですから。ここに事故証明書と死亡証明書を一式作成したのでサインをいただきたい』

警察はこのように言ったが、アンナさんは真っ向から反論したらしい。

『まだどこかの海を漂っているかもしれません。ですから諦めないでもう暫く探します』

だが十日経っても状況に変化はなかった。アンナさんもやっと覚悟を決めて、それで私に連絡が来たというわけです。一カ月後、アンナさんは死亡を認めてサインをしたようだ。お嬢さんに次いでご主人も海で亡くし、彼女は完全に一人身となってしまったんだ」

エリザベスは放心して口を動かせない状態に陥ったので、宗像が変わって確認した。

「ご遺体は上がらなかったのですか?」

「うん、ユーラさんのときと同じでまたもや海に消えた。まるで捧げられたかのごとくにね。私はアン
ナさんに申し上げた。

『またフィレンツェに戻らないか?  多少の援助もできるよ』

しかし彼女は気丈にもこう言った。

『私はポルトガルの人間です。ここに住みます』

『それでは、故郷のファーロには帰らないのかね?』

そう尋ねたのだが、わけあってそこには帰りたくないというような意味のことを言っていた。取り付く島もない有様だった。それにアンナさんも、毎日かなりの量の酒で気持ちを紛らしているようだった。半年も経たずに一人娘と亭主を亡くしたんだからね、無理からぬことだ。こんな状況で、私の忠告を聞くとも思えなかったが、酒は控えるように言いましたよ。なんでも力になるから遠慮せずに連絡をしてくれと言い置いて私はフィレンツェに戻った」

それまで黙って聞いていたエリザベスが重い口を開いて言った。

「そしてそれからどうなったのですか、アンナさんは?」