国旗・国歌をめぐる管理職と組合の闘争に巻き込まれて

私の新規採用は平成元年だった。それ以前に非常勤講師で公立高校、公立中学校を経験していたが、新任としての勤務先は、養護学校(現特別支援学校)の高等部だった。

この学校での新規採用が私一人だったため、当時はまだ影響力の強かった組合が、何としても私を組合員に勧誘しようと躍起になっている様子だった。

4月当初、7人の組合員の先生に私一人が囲まれて座らされ、組合の活動等についての説明を受ける羽目になった。それほど組合というものに対して抵抗感を持っていたわけではなかったが、この時を境に、嫌悪感すら抱くようになったことは言うまでもない。

一人の先生から丁寧に説明を受けていれば、今頃は先頭を切って、組合活動をしていたかもしれない。全くもっての戦略ミスとしか言いようがない。

この時代、国旗・国歌をめぐる闘争が教育行政と組合の間で起こっていた。平成元年度の卒業式が、国旗(日の丸)・国歌(君が代)を正式に儀式的行事に位置づける最初の年だったかと思う。職員会議では幾度も、そして、時間を掛けてやり取りが繰り返された。

体育科教員である私はスポーツの世界で育ってきたし、どの競技種目に限らず、日本が世界大会で優勝し、日の丸が揚がり、君が代が流され、斉唱されることに抵抗を感じてはこなかった。むしろ、誇らしいこととしてとらえていたため、その歴史性を強く含んだ議論、と言うよりも、それぞれの主張の応酬には辟易していた。

そうこうしているうちに、卒業式が目前に迫り、埒が明かないとばかりに、管理職から、

「『日の丸』は、式場には持ち込まず、グランドのメインポールに掲げる。『君が代』は、全員起立の上、テープで曲を流す」

という具体的な方法が提示された。これ以降は組合の反対意見に耳を貸すことはなかった。

卒業式の当日を迎え、出勤すると、グランドのメインポールには日の丸が旗めいている。「体を張って断固拒否」ということにはならなかった。

そして、卒業式の開式直後、国歌斉唱となりテープが流される。スイッチを押した教頭が司会者席に立ち、一人大きな声を張り上げて歌っている。そんな中、教員席では組合員であろう起立しない教員がまばらにいる。さらには、生徒の補助のために卒業生席に一緒に座っている教員の中にも、腕を組み、足も組んで座ったままの組合員がいる。

するとその隣で、司会者の「ご起立ください」で立っている卒業生の一人が、「先生、立ってよ! ねぇ、立ってよ!」と大きな声で呼びかけ、腕を引っぱって立たせようとする姿が見られた。

この時の殺伐とした、とてつもなく異様な空気は、誰にも察することができるのではないだろうか。

ある意味、式の最初にして、卒業式をぶち壊されたと言っても過言ではないと感じられた。