観葉植物の葉が黒く見えて
離島の中学校を希望し、太平洋のど真ん中、人口250人ほどの小さな島に赴任した。歓迎会の宴の席、ほどよく酔った頃に、PTA会長が隣にドカッと座ってくる。恰幅のいい、良く日に焼けた港の男からは、威圧感さえ感じられる。そして、あぐらをかいている私の膝をバンと叩いて一言、「先生よぉー、どうせ腰掛けなんだから、精一杯やれるだけのことやって、出て行きなよ!」と。私としては、腰を据えての心づもりでいたので、これには閉口してしまう。
しかし、「そんなことはない」とは言えない。「かつて、島に赴任して1カ月あまりの5月の連休(ゴールデンウィーク)に、実家(本土)に帰省し、そのまま二度と島には戻らなかった先生がいた」という話を聞いていたからかもしれない。絶海の孤島とも言えるこの島での過酷な生活に耐えられなかったという過去の話は、少なからず影響していたと言えるだろう。
そうではあったが、PTA会長に「どうせ腰掛けなんだから」と言われたことで、何くそ根性に火がつき、「絶対に2年では出ないぞ!」と心に誓った。そして、結局のところ5年間も居座ることになった。赴任して間もない週末、桟橋に海を見に行くと、大勢の人が釣りをしている。
その中の一人、Iターンでこの島に来て、村役場で働いていたKさんが、釣った赤イカをその場でさばき、醤油をたらして食べさせてくれた。そのうまさ、ハンパない甘さと言ったらたとえようのないもので、この島での生活を潤すのに十分だった。後にはPTA会長にもなるこのKさんには在島中に大変お世話になった。
また、同僚の先生家族にもお世話になった。同じ教員住宅に住まわれ、奥様とお子さん二人の四人家族。考えてみると、私は社会の先生と良い縁があるようだ。お宅にお呼ばれし、その先生が釣ったメジナを島寿司にして、ご馳走していただいた。こちらもそのおいしさと言ったらハンパない。ビールもすすんだが、翌日言われたのが、「メシを4合も食ったね」だった。とんでもない大飯食らいを恥じる気持ちも湧いたが、「どんだけ食うんだろうかと、見ていて気持ちよかった」と言っていただいた。全くもってありがたい。
こうした方々の支えによって、5年間も頑張れたのだろう。
とは言うものの、小さな島での生活はかなり厳しい。ことに冬場は十日も船が着かないと、島に二つある食品店の陳列棚はどんどん寂しくなっていく。当然のことながら、パンや生鮮食品は全く無くなる。やっと船が朝方に着いても、退勤時間まで買いに行くことはできない。夕方、帰宅途中に寄ると、少しだけ野菜が残っていた。長ネギ1本を差し出し、「これ、ください、いくらですか?」と聞くと、「五百円」と返ってきた。さすがに高すぎて買えなかった。
後になって聞いたところによると、島の人にはもう少し安かったらしい。足下を見られたものだと悲しくなるが、それが平成6年当時の島の現実だった。そういえば、ストレスが溜まり、夜は寝付かれずに眠りも浅いように感じていた頃、朝起きると、部屋に置いてある観葉植物の葉が黒くなっていた。前の日までは確かに緑色をしていたのに。おかしいとは思いつつ、眼科医がいるわけもなく、しばらくそのままにしてしまうことになる。そして、数カ月が経ち、眼科検診に眼科医が島を訪れた際に診てもらったところ、「中心性網膜炎だろう」ということだった。
数週間後に出張で島を出た折、大学病院の眼科で診察してもらうと、やはりそうだった。網膜に小さな穴が空いている写真を見せられ、「ストレスが原因」と説明を受けた。「そのままにしていてもふさがる可能性はある」とのことだったが、島に戻ってから悪化したのでは手の打ちようもないと思い、レーザー治療を受けることにした。帰島すると、部屋の観葉植物の葉は、緑色に戻っていた。