現役中学校教師が、教育現場の闇を激白! 公立中学校の「もう一つの現実」をお届けします。
文武両道を絵に描いたような学校ではあったが……
運動部はかなりハイレベルで、関東大会・全国大会へと進出する部活がいくつもあった。
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剣道に柔道にバドミントン、それに陸上競技。先輩が顧問でもある陸上競技部に参加し、一緒に走ったりもしたが、相当強い選手が揃っていた。後にはオリンピック選手も輩出した伝統の陸上競技部だった。
球技もレベルが高く、野球部にハンドボール部と、新人戦では都大会準優勝とのことだった。
ただし、その指導は卑劣なもので、「プレーで失敗すると金槌で頭を叩かれた」と部員である2年生がぼやいていた。そんなことがまかり通る時代だったのか!?
勉強もよくできた。
とは言っても、どうやら官舎から通っている生徒が平均点を大幅に上げられるくらい優秀な生徒が揃っている、ということのようではあった。
エネルギッシュで運動能力の高い下町の子と、落ち着いていて知力の高いエリート官僚の家庭に育った子と、そんな構図で成り立っているようだった。
そして、そんな文武両道を絵に描いたような中学校が、まさに超が付くような〔管理主義〕のもとに成り立っている、というのも私の中では皮肉に感じられた。
「学校を変えてやる!」をどこに向けたらいいのか、もし、この学校から管理を外したら、どんな学校になっていたのだろうか?第11章で綴ることとする。
ところで、この学校で出会った社会の先生からは読書に関するとてもいい影響を与えていただいた。
先輩と仲が良く、よく体育教官室を訪れては私とも話をしてくださった。対話をしていて、いかにも教養が深く、「ためになるなぁ」と思うことが多々あった。
常に読んでいる本は3冊あって、1冊は家で、1冊は通勤途中の電車の中で、そして、1冊は学校で読んでいるとのことだった。読書の苦手な私にとっては目から鱗であったが、いつからか、そんな風に読書ができるようになっていた。
そして、この社会の先生との出会いから、また不思議な出会いへと導かれていった。
養護学校(現特別支援学校)と繋がりのあった社会の先生に推薦され、知り合いの校長と面接を行うことになり、即採用となった。この校長はとても重厚な方で、初任で勤務するには絶好の学校だったのではないか、という思いを少なからず持てるほどだった。