フェアプレーの精神を足かせと考える人は行動規範をルールという外部的基準に全面的にゆだねているという点で、フェアプレーを意に介さない人と同レベルであり、自由度が少なくなる分、不利な状況に置かれることになります。
しかし、外部のルールや規範、基準ではなく自己のルールや規範、基準であればどうでしょうか。私が考えるフェアプレーの精神とは、まず、自律的な行動規範なのです。
ビジネスにおいてもスポーツにおいても、最大の成果を得るために瞬間的に全力を出さなければならない瞬間が訪れます。そのためには、十分な潜在的能力を蓄えていることと、その潜在的能力を最大限発揮できるパフォーマンス力が必要です。
日常的なトレーニングによって個人が備えている基本的な能力、という意味での潜在的能力を向上させるために、私たちはトレーニングを重ねます。そしてこの潜在的能力はトレーニングによって向上する以外は、急に高くなったり低くなったりするような性質のものではありません。
練習は裏切らない、というのはこのことです。しかし試合の当日、急に能力を発揮できなくなるというケースはよくあります。また一方で本番の試合では日頃の能力を超えた成果をあげる場合もあります。このような潜在的能力を発揮できる度合がパフォーマンス力です。
パフォーマンス力は、自分でコントロールできないものにとらわれた時、低下します。「コントロールできないもの」とは、起こってしまった「過去」、誰にもわからない「未来」、そして「他人の評価」です。この3つからの強力な影響力と無縁である人は少ないでしょう。
かつて大リーグで活躍していたイチロー選手のインタビューが素っ気なく感じるのは、過去(今日の試合を振り返って)、未来(次の試合への抱負)、他人の評価(他選手からのコメント)について、全く答えなかったからだという分析を聞いたことがあります。そのような目で試合後のインタビュー中継を見ると、イチロー選手の強さに納得できました。
EQ(こころの知能指数)にもとづく企業研修のお手伝いをさせていただくことがあるのですが、日本人の大きな傾向として、自分の内的な心の声に耳を傾ける「内的自己意識」よりも、外部からの評価を行動に反映する「外的自己意識」の方が高い人が多くみられます。
そのこと自体が悪いわけではありませんが、パフォーマンス力の観点からは不利な傾向だと思います。