第一章 小樽 人生の転機は突然に
入院から三週間ほど経過した日の午後、父が中林先生に言われたことを話してくれた。
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「腰の腸骨を患部に下駄の歯のように埋め込む手術をして頭部を安定させることと、その際、脊髄がどうなっているのか確かめたいそうなんだ。ただ、お前の体力が落ちているので耐えられるかを心配してた」
「俺はやってもらいたいよ」
正直もし切れていたらどうしようという怖さがよぎったが、なんとか繋がっていてほしいとの願望も強かった。
「分かった、康男(長兄)にも話してみるよ」
そう答えながらも、目は焦点を定めず遠くを見ているようだった。息子には言えないことを医者に言われているんだなと感じた。
その夜、
「康男は、まだやらなくてももっと後でもいいのではないかと言っていた」
と父は知らせてくれた。
「父さん、俺はやってもらいたいよ。このままじゃ不安定だし、どうなっているのか知りたいし」
言いながらも内心はとても怖かった。もし切れていたら立って歩くのは絶望的で、それ以降の人生はないも同然だと感じていた。
そうして手術が終わった。息苦しい中で目が覚めた。痰が切れないようでズルズル喉にへばりついているのがいまいましかった。
「先生は何て?」
「……切れていたと言ってた。ただ、松葉杖でなんとか立てるようになるかもとも」
それ以上は正直聞きたくなかった。
「医者がなんと言おうが俺は歩いてみせるよ、父さん」
悔しさのあまりの捨て台詞なのか、向こう見ずの思い上がりで出た言葉なのか、それとも心配をかけさせたくないとの父への咄嗟の思いやりなのかは分からなかったが、言葉として伝えたかった。
またジャンプをやりたいとの気持ちも確かにあった。その夜から呼吸がますます苦しくなり、痰も酷くいつ息が止まってしまうか恐怖で眠りにつけず、父に傍にいてくれるよう頼んだ。