昭和24年3月17日。岐阜県関市井口町内にある紡績会社に勤務する女子工員、安藤千代子(23)のアパートに侵入し、暴行したうえに手拭いで絞殺した。
早川の犯行と断定されるに至った理由は、その事件から約2ヵ月後に発生した事件による。5月13日。安藤千代子と同様に紡績会社に勤務する中田和江(26)が、アパートで入浴中、暴漢に襲われ、強姦されたうえ、頚部を強く締めつけられ殺されそうになった事件があった。
中田和江は、運がよくて助かった。首を絞めつけられた時に、ちょうど、婚約者が訪ねて来たのである。
女の話によれば、男は自分の逞しい先端で欲望を満たした後でも、まだ満足せずに、引きつった顔をして、女のパンティーを、彼女の口の中へ詰め込もうとした、とのことである。
中田和江が語ったところの男の人相から犯人は、〝変質者〟だと嫌悪されていた早川岩雄と知れた。検察側は、早川岩雄の顔写真入り「殺人犯」ポスターを駅や役場や旅館などあらゆるところに掲示した。
それが功を奏した。予想外に早く早川を逮捕することができた。逮捕された早川は、取り調べで、あっさりと犯行を認めた、自供によれば、ほかにも女を殺している、とのことだ。女を山中に誘い出し、暴行を重ね、あげくの果てに女を始末した、と言う。
その実地検証が観光地である長野県の〝田立の滝〟で行われていた時、早川岩雄は、渓谷に架けられていた橋と言ったらいいか、それとも梯子と言おうか、そこを自分が通り過ぎると、突然、その梯子を取り外し、山の中へ逃げ込んでしまったのである。
早川の腹に巻き付けられていた逃走防止のロープは役に立たなかった。早川に引っ張られて、刑事がロープを奪われたからである。早川には手錠がかけられていなかった。細い山道を登るのだから、手錠を外そうと思ったのが甘い考えだったが、後の祭りである。
土地勘のある早川の計画的な逃亡だった。刑事は梯子を架け、追いかけたが、遅かった。早川岩雄はまんまと逃げ去った。その後の足取りを掴む捜査に重点をおいたが、男は不明であった。