客である漁師たちの出足は早く開店早々から席は埋まり始める。漁師たちは、ビールや日本酒より度の強い焼酎を好んで飲んだ。飲むと歌う。商店の親爺や旅館、民宿の泊り客も連れだって飲みに来ることもあるが大半は漁師の常連客で皆顔見知りであった。

常連客たちは飲んでは歌うことを繰り返し、その間に競い合うようにホステスたちをダメと知りながら露骨な口調で盛んに口説いた。酒でタガの外れた男のすることで母の時代から少しも変わっていない。しかし、ホステスや美紀が本気で相手にすることは無い。この地方の漁師たちの結婚は早くほとんどが嫁のいる身で、小さな町で不倫の噂が立てば互いに居辛くなるのは必定だからである。

その日も漁火は、開店三十分もすれば席の八割方が埋まった。カラオケの口火は決まって鳥羽一郎の「兄弟船」だ。午後の八時過ぎには客たちはすっかりでき上がる。

「沙耶ちゃん、僕とチーク踊って」

坊主頭の四十がらみの客が媚びたような目で隣に座った沙耶にそう言う。

「やだ、英夫さん、踊りながらお尻触ろうとすんだもの」

沙耶が愛想なく答える。

「減るもんとちゃうし、ええやないかそれぐらい」

坊主頭の英夫が不満顔で言う。

「英夫、お前はいやらしんだよ。沙耶ちゃん、俺とどうだい? 英夫と比べたら俺は紳士だよ」

沙耶の前に座っている連れの客が袖にされた英夫を尻目に猫撫で声で誘いを掛ける。

「何言うてんの。紳士は踊りながら前を押しつけてくるようなことはしないわよ。それより明日は早いんとちゃうの?」

連れの客も拒否される。

「チェ! おーい、ママ。こっちにマイク回して」

振られた二人が今度はカラオケで競い合う。いつものことだ。

入口のドアに吊るされたベルが鳴った。客の出入りを知らせるベルだ。美紀はカラオケが大音響で鳴っていてもベルの音を聞き分けることができた。

潮の香りを漂わせてジャージ姿の常連客の一人が入って来た。日に焼けた顔の漁師だった。

カウンターの美紀がすかさず目を向けた。

「いらっしゃい。あら、珍しいわね一人で。敏夫さんと一緒じゃないの。それにしても随分遅い御成りね」

美紀はそう言ってカウンターに客を誘い、客の名前が書いてある焼酎を棚から取り出しグラスとアイスペールそれに本日の突き出しのイイダコの甘辛煮を用意して客の前に置いた。

「明日は俺休み」

客が答えた。

「敏夫さんは違うの?」

「よう知らん。あいつとは今、戦闘状態」

「戦闘状態って、喧嘩でもしたの? 仲がいいのに」

「阿呆じゃ、あいつは。中古で車を買うと言うので知っている自動車屋を紹介して話もつけて遣った。けど、ひっくり返しやがった。それで同じ程度の車を違う所で二割も高こう買いよった。俺を馬鹿にしているというよりボケとるわ、ほんま、あいつ」

「あら、普段から俺たちは青魚でDHAを摂っているからボケないって言っていたじゃない」

美紀が突っ込みを入れた。

「ママ、敏夫のような天然じゃ、DHAをいくら摂ってもだめ」

小さな海辺の町で生まれ育ち、スナック「漁火」で働く美紀には小学生の頃の忘れられない思い出があった――。つましくも明るく暮らす人々の交流と人生の葛藤を描いた物語。