「本社(出雲大社)の荒垣内、本殿の後北、即八雲山の麓にあり、祭神は須佐之男神なり、此神は伊邪那岐神(イザナギノミコト)の珍御子(ウズミコ)三柱の中の一柱にて、天照大御神の御弟にませり、御父伊邪那岐神は天照大御神に高天原、月讀神(ツクヨミ)に夜の食國(日神に並びて天上の事を治むともなり)須佐之男神に青海原を事依したまひしも、此神は海原を治むることを欲せず、御母伊邪那美神(イザナミノミコト)の坐す、根國に行かむと思ひ立ちたまひて天上に昇りて、天照大御神に、其由を申さむとしたまひしに、

神性勇健にませば、天照大御神、甚く怪しく思はしませるによりて、私心なきことを明かにせむとし、天安河にて、誓をなしたまへり、此時三女五男の神を生みたまひて、清さ赤き御心の知られたる後、勝さひに荒ひまして、天より降りまし、出雲國肥河上にて蒼生に仇なす八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を討平らげ、其尾中より一の名剱を得給へり、命此剱は私に用ふべきにあらずとなし、之を天照大御神に獻れり、(之れ即ち草薙剱にして三種の神器の一つなり今官幣大社熱田神宮に斎ひまつり又大蛇を斬たまひし剱は蛇麁正(オロチノアラマサ)といひて今の官幣大社石上神社に蔵めまつれり)又此神御子 五十猛神(イソタケル)を率ゐて新羅國 曾尸茂梨(ソシモリ)の處(処)に降到り給ひしが、

興言して此地には吾居ることを欲せずと、埴もちて船を造り、東海を渡りて、出雲國に着きたまひ、韓國には金銀あり、吾兒の治めまさむ國に、浮寳即船なくては、佳らしと、八十木種を播きたまひ、其御子五十猛神韓國の地には殖ずとて、筑紫より始めて大八州國の内に、殖生したまひしことあり、かくて此神は天の壁立限とて大地の極を見廻り、御父神の事依したまひし、治國の事に、御心を注かせたまひ、御子神に命じて、

種々の事をもなし、遂に早くより思はせるが如く、根國に出まし、後大國主神に吾女須勢理比賣命(スセリビメノミコト)の嫡妻として、八十神を討平らげて、大國主神となり、また顯國魂神(ウツシクニタマノカミ)となりて、宇迦の山本に居れと命し、國造りの事を讓りたまへり、又新羅、高麗、北見の國土を割きて、出雲國を造りたまへる、八束水臣津野神(ヤツカミズオミツクノミコト)は、此神なりともいへり、出雲國熊野神社(國幣中社)に、鎮り坐すも同神にて、國造遠祖天穂日命(アマノホビノミコト)の大國主神の祭主として、仕奉れる時に、燧臼燧杵(ひきりうすひきぎね)を授けたまへることもありて、今も國造の火繼式は、此社に参りて執行ひ、又毎年十一月の新嘗祭(にいなめさい)には、此社より燧臼燧杵を、出雲大社また國造のもとに贈る古例なり」