古事記によると、

天安河の一件のあと増長した須佐之男命が、機織り部屋に天照大御神が坐(ざ)している最中に、逆剥ぎにした馬を落としたため、そばで機を織っていた織女が、突然の事態に驚き死んでしまい、天照大御神は怒り「天の岩屋戸のおこもり」が起きました。

そして、解決後に須佐之男命はその罪を責められ髪を切られ、手足の爪を剥がされ高天原追放となりました。この天照大御神との別れから、須佐之男命が朝鮮半島に流れ着いたという話があり、朝鮮半島のいくつかの場所に、その館があったという伝説が残っていました。

このことは、大正2年(1913年)に発行、大正12年(1923年)に訂正再販された、出雲大社宮司千家尊福(せんげ たかとみ)氏の著作『出雲大神』の素鵝(そが)神社にも書かれています。