羽衣の傳説
「内鮮一体」が、ただ日本人と朝鮮人は一つになるなどという、今日みなさんが戦後の教育で理解している意味では使われていません。大和の国から送られた三人の王女は、先に触れた須佐之男命の三人の娘に繋がっているのも感じられると思います。
この島は「済州島」のことですから、朝鮮総督府の後ろに控える当時の国が、この場所を内鮮の縁の深さを示す重要な場所と認識していたかもわかります。
そして、「三姓穴」に続けて「羽衣の傳説」を取り上げていますが、この話こそが、大正期に完成させた朝鮮総督府庁舎、京城駅、朝鮮神宮の3施設を星座の形に結びつける、内鮮の縁を表す日本と朝鮮同型の伝説「羽衣(七夕)伝説」になります。
京丹後市の歴史(平成24年・2012年・京丹後市中学社会科副読本作成委員会編集)によると「丹波国風土記」の伝承として紹介されています。
比治山の麻奈井という池で水浴する八人の天女の一人が羽衣を隠され、和奈佐という老婦人の子となります。天女はどんな病をも治すという酒を造り、老夫婦は裕福になります。しばらくして夫婦は天女に対して、天女が自分たちの子供ではなく、しばらくの間、仮に養っていただけなので、家を出るように告げます。それを聞いて天女は天を仰ぎ嘆き悲しみ、歌を詠みます。
天の原 ふりさけみれば 霞立ち
家路まどひて 行方知らずも
天女は家を出て、荒塩村、丹波里哭木村、それから最後に船木里奈具村に着き、「わが心なぐしくなりぬ」といって、この村に住み着くこととなりました。物語の最後には、この天女が奈具社に祭られる豊宇賀能売命という女神であるとしています。豊宇賀能売命というのは豊受大神ともいわれ、丹後の多くの神社に祭られている女神です。この神は、古代に丹後から伊勢に遷され、伊勢神宮の外宮に祭られています。
この話に続けてもう一つ紹介されているのが、京都府京丹後市鱒留の大路に伝わる伝承となります。
昔、峰山の比治の里に、さんねも(三右衛門)という若い狩人が住んでおり、ある夏の朝、比治山の頂上近くまで来ると、池で水浴びをする八人の天女がいました。
木の枝に羽衣がかけてあり、その一枚を抱えると家へ帰り、大黒柱に穴を開けて隠してしまいました。天女は天へ帰ることができず困ってしまい、とうとう、さんねもの嫁となりました。
その後、三人の娘も生まれました。