満州にて勧められた見合い
「良い相手がいるから見合いをしないか?」
こう祖父に勧めたのは満州鉄道の関係者と伝わっていて、最初に見合いの話がされたのは6月の上旬でした。この見合い相手の女性が旧姓岩森千代子、結婚のあと豊田千代子(祖母)となりました。
祖母は明治33年(1900年)6月8日、富士山のある山梨県の後屋敷村に呉服商の娘として生まれました。旧姓の岩森の岩は岩長姫(イワナガヒメ)、森は木に通じ木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)に縁がある姓で、出身地の後屋敷村にある木宮神社の祭神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)と建御名方神(タテミナカタノカミ)であり、そのすべてが、日本の古(いにしえ)より伝わる天孫降臨神話に関係がある神さまでした。
この姓にあわせ、生まれるひと月ほど前の5月10日に、嘉仁(よしひと)親王(大正天皇)が九条節子(さだこ)さま(貞明(ていめい)皇后)と結婚されたことをお祝いして、また、ご夫妻の末永い結婚と日本のますますの繁栄を祈願して、国歌でもあり、結婚の祝い唄でもあった「君が代」の「千代に八千代に~」から名前をいただき、千代子と名付けられました。
これにより、古事記の瓊瓊杵尊と岩長姫と木花咲耶姫姉妹との結婚にまつわる話とは異なり、岩森千代子は、その姉妹が分かれることなく永遠に繁栄が続くという「完全な結婚」を表す姓名になっていました。