どこかに真理はあるはずだ。
そうかもしれません。
でも、どこかの真理に従う限り、従うものと従わないものの二つに分かれます。
自分の中の真理に従うのは自分一人です。
他者を強制しません。
他者を強制した瞬間、それは真理ではありません。
「すべき」という言葉には強い力があります。
「ねばならない」は焦点を定めます。
「正しい」はいかなる迷いも吹っ切ります。
自分の目標に向かって力一杯この槍を飛ばす時、
それは凄まじい力を発揮します。
しかしその目標を、間違っても人に向けてはなりません。
「お前はこうすべきだ」
「お前はこうしなければならない」
「こうすることが正しいことだ」
それはその人を支配し、その人を裁き、その人を破壊してしまうからです。
人間はしたいようにしか生きられません。
動物も植物もしたいようにしか生きられません。
「すべきこと」は「したいこと」よりずっと劣った末端の道具にすぎません。
したいように生きたら、世の中どうなるんだ!
そう思うのは、あなたのこころの中の「したいこと」が劣っているからです。
本当は勝ちたい。本当は奪いたい。そして、本当は怖いんです。
「したいこと」を押し込め、「すべきこと」をするから、苦痛なのです。
自分は苦痛を我慢して「すべきこと」をしているから、していない人を許せないのです。
いっそ、したいように生き、それで世の中が素晴らしくなるように生きたらいかがですか?
したいことが、自分も含めたみんなの利益になるように、
したいことが、自分もみんなも幸せになるように、
自他の区別なく愛せるように。
それはきっと正しいことではなく、楽しいことです。