どう考えても「おかしい」
文明はすばらしく発展し、私たちは恩恵を十二分に受けて生きています。それは間違いないのですが、ものごとには光と影があり、近頃、影の面がほんとうに目につくようになってきました。
例をあげれば枚挙に暇がありません。微生物の死骸や枯れた植物などが、何億年という時間をかけて化石になり、やがて石油や石炭になったものが、化石燃料です。何億年もの歳月がかかって出来上がった化石燃料をほんの数百年で食い潰すのはあまりに異常です。
あるコンビニエンス・ストアがあります。みなさんご存知のようにおおよそブランド3つです。激しいつばぜり合いを行い、出店競争をしています。際限のない競争の果て、店舗数が限界になりました。コンビニの登場で、どれほど暮らしやすくなったことでしょう。
昔は、雑貨屋さんが町に1軒あるかないかで、夕方になると店は閉まってしまいました。店が閉まった後に、たどり着き、翌日出直したという記憶のある方はたくさんいます。そうした時代からすれば隔世の感があります。
一方、コンビニの出店競争は過激なものとなっていました。私の家の近くにコンビニが1軒あります。道路を隔てて、もう1軒コンビニがあります。それも同じブランドです。距離にして徒歩100歩です。マーケティングの理屈はこうです。道路で動線が異なるので、商圏は全く異なり大丈夫ですとオーナーを口説き落としたに違いありません。マーケティングの論理も、大量消費、大量生産、大量廃棄のパラダイムの中にあるのです。
このようにビジネスの論理も異常ともいえるほど「高度に非論理的」になっていました。徒歩100歩圏内に、しかも24時間営業店舗が2軒必要であると近隣の誰が思ったでしょうか。そうしたオーバーコンビニエント状態が今日だったのではないでしょうか。
現在、そのコンビニの内1軒は取り壊され、空き地になってしまいました。競争に生き残らなければならない。私たちは市場が収縮する中で、競争相手を打ち負かし、あるいは次々と企業買収を繰り返し、規模においてナンバーワンになることを目指してきました。規模が唯一の目安になりました。