あなたは、三億円強奪事件の犯人ですね?

それから何年経ただろう。ずいぶん歳月が流れた。三上が80歳になる年の夏であった。三上は慈雲寺に電話をかけた。すると、板橋玄宗は心臓弁膜症で岡崎市の総合病院に入院しているとのことだった。三上は夕刻に病院を訪ねた。板橋は「緩和ケアハウス」に入っていた。受付の窓口で板橋の部屋について訊くと、事務員が顔を曇らせて言った。

「お宅様は、どちら様でしょうか?面会謝絶になっているのですが……」

「私は三上哲夫と申します。大学時代の親友です」

「そうですか。板橋さんは心臓の病気なんですが、ご高齢なので心臓の弁の近くの血管が石灰化しており、ご高齢なので手術ができないのです。治らない病気なのです。短い時間ならば面会も結構です。親友ならば、板橋さんはお喜びになるでしょう。でも、長い話は無理でしょう。手をよく消毒して下さいませ」

板橋玄宗は、すっかり変わっていた。痩せていた。白く細いもやしのような、数えられるくらいの頭髪が生えていた。首も自由に回らない状態であった。しかし、板橋には、訪れた人が三上であることがわかったようだった。三上は余命いくばくもない板橋であることを承知していたが、彼の耳元に唇を近づけて訊いた。

「板橋さん。あなたは、東芝、府中工場で働いていましたね」

「はい……」

「それで、板橋さん。あなたは、三億円強奪事件の犯人ですね?」

板橋は、消え入るような声で返事をした。

「……はい」

三上は板橋が寝ている部屋の格子窓を開けた。窓は二重構造になっていて、外側の窓は透明のガラスであった。暑い夏の陽が落ちて、爪のような細い月が見えた。美しい空である。三上は、細い月にじっと見入った。板橋も、空を見ているようであった。だが、彼の瞳は白く混濁していた。月が見えていたのかどうか。それは知らない。