ほどなくして三上は、五島列島の板橋の姉が住んでいたという久賀島を訪ねた。小さい島だから板橋の姉の家はすぐにわかった。だが、姉は肺炎をこじらせて亡くなっていた。三上は、板橋に関する聞き込みをした。その結果、集落の人から思わぬことを耳にした。
「姉さんと弟の板橋さんは、カネに糸目をつけないから家を建て替えてもいい」
と話していたとのことだ。
「カネに糸目をつけない」
その言葉が三上の頭に深く刻み込まれた。三上は、B大学に通っていた当時の板橋についても思い返していた。三上は経済的な余裕がないから、JRの在来線を利用し、米原経由で京都へ行った。だが、板橋は往復とも新幹線であった。さらに三上哲夫は板橋の身辺を調べた。岡崎の慈雲寺の駐車場の管理や広大な畑の管理はどうなっているか、結果は? すべてが専門業者に委ねられていた。