「察せよ。愛妃のところへ連れて来られたのは、僧侶ではなく道士である。僧は、房中・導引の秘法も知らなければ、神薬の処方も知らない。現世を利益することを知らず、来世など、あるかどうかもわからぬものをとり沙汰するだけだ。それに、佛法は、もともと異国の教えではないか」

夜が、しらじらと明けて来た。春とはいえ、朝の冷え込みは身にしみる。気の早い一番鶏が、けたたましく夜の静寂(しじま)をやぶれば、だんだん東の空が白くなって、星々の、あわい光をかき消してゆく。時を告げる鐘が鳴ると、駄熊太(ドゥオシュンタイ)師父は、つき添いの宦官に、なにやら指示をくだした。

やがて、嘉靖帝が、姿をあらわし、私を手まねきした。

「春吉(チュンジー)とやら」

おそるおそる近づくと、皇上は言った。

「汝が、翊坤宮を差配することになるそうだな。しっかりやれ。端嬪(たんぴん)を、よろしく補佐せよ。人員がたりなかったら、いつでも伝えよ」

「もったいない仰せにござります」

「皇上!」

駄熊太(ドゥオシュンタイ)師父が、呼ばわった。

「そろそろもどって支度をされませんと。本日の政務にさしつかえます」

「うむ」

おうように右手を振れば、宦官が、ぞろぞろとつきしたがった。そのあとは記憶がとんでいる。気づいたときには、私は寝室の柱によりかかって、呆然としていた。

喉のおくから、得体のしれないかたまりが、突きあげて来た。

目からこぼれ落ちるものをぬぐった。これは泪ではない、泪などではない。私はそうくりかえした。自分自身についている噓だと、認めたくないばかりに。