近代の日本において新しい女性像を作り上げた「蝶々夫人」のプリマドンナ、三浦環。最近では朝ドラ『エール』にも登場し話題となりました。本記事では、オペラ歌手として日本で初めて国際的な名声を得た彼女の華々しくも凛とした生涯を、音楽専門家が解説していきます。

藤井軍医と離婚したという噂が…

妹の安藤幸のしあわせな生涯と異なり一生を独身で音楽一筋に通し、楽界の最高位に昇りつめた延の生涯をかえりみるとき、女性のうける社会からの軌轢の大きさを、あらためて感ぜずにはおられない。

外人教師ユンケルの場合の風評も一方的である。彼は高雅な芸術に携わる者とも思えぬ程の品性下劣な男で、先に帰国したディットリヒ教授(一八六一~一九一九)の代わりに迎えたとは実に情けない。

彼と安藤幸子や柴田環子の関係云々は置くとして、他人の出演を拒み、演奏には金何百円を出せとか、自分が名人であることをひけらかすために、ある来遊中の名ピアニストの演奏会で同席の客に、「あれ位ならばお幸さんでも出来ます。何大した技でもありません」と教え子の技を引合いに出して自身の大家ぶりを誇るなどは滑稽至極である。ユンケルの如きは鳥なき里の蝙蝠に似て自国では三流中位の上にも出ない男で、ある外国音楽通はイタリーの乞食でも、彼以上の腕の者はいるというほどで味わうべきことではないか、という類である。(67)③

ユンケルの技量がわかる識者ならば笑い話でもすまされようが、市井の人達は真に受けてしまう時勢であった。

明治四十一年度は音楽学校にとっては教員生徒の風紀問題で騒然となった受難の年であった。明治四十二年三月二十六日の卒業式はここ数日来の春めいた陽気から寒が戻って上野の山は雪景色となった。