近代の日本において新しい女性像を作り上げた「蝶々夫人」のプリマドンナ、三浦環。最近では朝ドラ『エール』にも登場し話題となりました。本記事では、オペラ歌手として日本で初めて国際的な名声を得た彼女の華々しくも凛とした生涯を、音楽専門家が解説していきます。
離婚せし環女史
裏面は兎も角、表面は琴瑟相和し、夫婦至って睦まじかったこととて今回の離婚は世の耳目を驚かしたが、平素の素行を聞くに、近隣の人々は似合いの夫婦よ、と評している。しかし女史の義母の談によると、良人が軍気質のチャキチャキのことで趣味が合わず、今回の破綻をみたものという。そこで女史を知る某教授に聞くと、趣味の衝突ぐらいにて離婚す可き道理なし、離別の原因は他にあるだろうという。
音楽学校の生徒の間では、ユンケル先生と怪しいの、表面では何気なく装っているが、大熱々で今度は公然と結婚するに違いないわ、との評判なので同校の富尾木幹事に聞くと、ユンケルさんのことですか、可哀そうな、あれは無論嘘です。夫れは同趣味のこととてたまには音楽会の帰りに一緒になって話し合った位のことはあるでしょう。それに環さんは生徒のうちからも優等生でしたからユンケル氏も優等生には自然、念を入れて教えるのでそんな評判も立ったのでしゃうが、職員間では怪しいなどといふ噂は少しも聞いたことがないです。然し趣味の衝突からと言うのもチト可笑しいですな。何か家族の事があるのでしょう。(東京毎日新聞)
藤井環女史離婚事情
女史の実母永田とはは今日まで藤井家に同居して我儘の仕放題を盡して遂に女史と軍医との間を割いた婦人だ。女中にも自分を奥様と呼ばせ女史を令嬢と言はせ、軍医を養子扱いにして、どこまでも自分が主人気取りでいるので軍医とも衝突するのは当然で軍医も堪らず「何時迄もお母さんと同居しては環も娘の気で居て自然母親を頼るようになるから別居してほしい。
その代わり毎日環を見舞にやります」と一再ならず嘆願したが実母は頑として聞き入れない。軍医は何事も精神修養だと我慢し時折精神講話を始め居たるが何しろとはは娘の名が新聞に出て世間でチャホャされるのを笠に被て何事も馬耳東風なりき(読売新聞)
等々、虚実おりまぜての報道がなされた。