どんな場所にも自分を活かす場所はある

歴史を見ても分かるように、世の中に存在する物事は誰か一人の決断でできています。その決断の裏には、往々にして誰かの利権が見え隠れしています。

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私には成人になった4人の娘たちと一人の息子がいます。成人式を迎える娘たちには、私が振り袖を着せてきました。そもそも、日本には着物しかなかったわけですから、母親が娘や息子に着せるのは特別なことではありませんでした。毎日のことなら、母親が着物を着せている姿を当たり前に見て子供は覚える。親になった子供は、自分の子供に同じことを繰り返す。着物文化は『持続可能』なルーティンの中で育まれてきました。では、いつから着物は『着付け師』に着せてもらうことが当たり前になったのでしょうか。

その始まりは明治時代。多くの西洋式のものが導入され、洋装化が進んだ時からでした。

脱亜入欧の当時、男性は身分の高い人を中心に背広を着るようになり、洋服は西洋と肩を並べるための必須アイテムでした。しかし多くの日本女性は、そのような時代の中でも着物を着続けました。

昭和の初めから第2次世界大戦までは、多くの女学校では着物の縫い方などを教えていたようです。しかし、敗戦後の教育からは減少。現在では授業の中からなくなりました。

終戦後間もなくしてから、着物をほどいて作った直線裁ちのワンピースが流行り、女性の間から普段の着物姿も徐々に減ることになりました。