ごめんなさいは真正面から
謝らなければならなくなった時に、誰もがその状況から逃げたくなるものです。
自我に目覚めた小さな子供が「ごめんなさい……」と言えない時と同じです。誰もが経験する成長過程ですね。叱った親を叩いてみたり、大声で泣きながら睨にらんでみたりして意地を見せます。
30年ほど前に、こんな歌がありました。
「ゴリラの目ん玉、ゴリラの目ん玉、ゴリラの目ん玉、ゴリめん、ゴめん」
自分が謝らなければならない時に「ごめんなさい」と言えない子供のために、歌詞が背中を押してくれて、「ごめんなさい」と言えるという歌でした。
小さな子供だって、子供なりの理由があって、それを言いたくても親には敵わない。だから、ごめんなさいって言いなさいって言われたら、言い出せない。そこを分かってほしいという表れですね。声を荒らげ
「悪いことしたでしょう!! 謝りなさい!」
と言われても、自分の正当性の消化不良は抑えられなくて、かえって意地を張る。意地を張っていた子供に、
「こんなことしたらダメなのよ。ゴリラの目ん玉を唄おうね」
と言うと、『間』をもらえた子供は「ごめん」と涙で言うのです。しかし、大人になった我々だって、相手がどんな人でも
「申し訳ありません!」
と言うのは本当にしんどいものです。謝っても、きっと許してもらえないだろう……そんな想像も働いて、この状況から逃げたくなるものです。
この状況の選択肢はいろいろあります。
1 理由はどうあれ、謝る
2 まず、自分の言い訳を聞いてもらう
3 怒っている相手から逃げる
4 自分を正当化して、他人に助けを求める
5 正当化して逆ギレする
子供の世界とは違って、自分の立場、相手の立場があります。どのような理由があっても、相手が怒っている時は逃げてはいけません。
7年前、サウジアラビアの大都市ジッダに行った時のことでした。サウジアラビアは『敬虔なイスラーム』の国であり、女性は宗教上の装い『アバヤ』を着用する決まりがあります。
私が訪れた理由は、着物とアバヤで国際交流をする下見でした。また、この訪問には楽しみなことがありました。首都のリアドにある日本大使館を訪れることでした。
訪問を前に、在サウジアラビアの元日本大使だった方が、日本大使に私が行くことをメールで伝えてくださったのでした。リアドに行く日程もお伝えしてあって、一人でジッダからリアドに移動の予定をしていました。
商業都市のジッダでの予定を順調に終え、日本大使館訪問の前日のことでした。ちょうど、この期間はイスラム教徒のメッカ巡礼で世界中からの信者が押し寄せていて、翌日のリアド行きの予定の便が欠航になったと、在日サウジアラビア大使館員の方に言われたのです。
しかし、
「矢作さんが訪問できなくなったことは、私から伝えておきます。大使とは親しいので、ご安心ください」
と言われたので、安心して彼に任せることにしました。
その翌日、一日の予定を終えた部屋でのんびりとパソコンを開き、メールをチェックしました。
しかし、一通のメールに心臓が一瞬止まり、凍りつきました。みるみる自分の顔色が青ざめていくのが分かりました。
「昨日、どうして日本大使館に行けなかったことを伝えなかったのですか?」
メールは元サウジアラビア大使からでした。
「大使は、ずっとあなたがいらっしゃるのを奥様と心待ちにされていたのですよ。あなたがいい加減な方だったとは、紹介者として本当に落胆いたしました」
メールを読み終えるまで、この事態をどう乗り切ったらいいのだろうと、壁に掛かった大きな鏡の中の青白い顔の自分に呟つぶやきました。
「行けなくなったことを〇〇様が言い忘れたのです……」
と弁明すべきか。
「いや、自分が連絡を取るべきことを第三者に委ねてしまったことが悪かったのだから……」