どんな場所にも自分を活かす場所はある
故郷の小学校では、体力測定や運動会で速く走れる者が地域の選手に選ばれ、部活のような放課後を過ごしました。運命が私を陸上競技の道に引っ張っていったのも、そこでした。
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中学校は周辺の小学校が合併し、一クラス45人で、一学年が3クラスの全校総勢400人規模でした。入学すると必ず運動の部活を選択しなくてはなりませんでしたが、選択肢が3つしかありませんでした。女子は、バレー部と卓球部と陸上部。男子は、野球部と卓球部と陸上部。男女が、そのわずか3つの部の中から選ぶのが必須でした。
都会の学校の状況を知らなければ、それは当たり前の三択でした。サボる生徒や退部する生徒はいません。放課後が楽しくて、その三択であっても皆が自分を打ち込める場所を見つけていたのです。
私は陸上部に入部しました。先輩にすごい選手がいて、その先輩に憧れて入部を決めました。先輩のような有名な選手になりたいと、先輩が卒業するまで背中を追い続け、それまでの運動会レベルから本格的な記録への練習を積んだ結果、好成績を残すことができました。
中学校のわずか三択から陸上競技を選んだことで、高校では県記録、大学では大学日本一と貴重な体験をすることができました。選択肢がたくさんあり、華やかな出来事に満ちた都会とは程遠い田舎でしたが、生まれ故郷の環境だったから自分のチカラを引き出してもらえたように思います。