「お前は間違っている。『正しい』に過ぎることなんてない」
「いいえ。正し過ぎることは、結局正しくないわ。みんな現代に帰りたいのは一緒、そのために歴史を変えないことが大事だってことも分かっている。けど、それ以前に、私たちは毎日を生きなきゃならない。毎日食べなきゃならない。あなたはそれらを全部すっとばして現代だけ見ているのよ。よく言うでしょ、『木を見て森を見ず』って」
「だから『林』がちょうどいいってわけか」
「茶化さないで」
泉の身体は完全に早坂から離れていた。
「あなたとは行けない。過ちを犯して現代に帰るくらいなら、私は縄文時代に死んだ方がマシよ」
「ばかに毒されたか」
「あなたは自分に中毒してる」
「じゃあ、さよならだ」
早坂はあとずさりした。
「もう行くの? 日の出まで、まだあるわ」
「元気でいろよ」
そう言うと、早坂はきびすを返して駆け出した。彼の背中はすぐに森の闇に溶けた。見送る泉の身体のあちこちに、抱きしめられた感触が残っている。
気持ちとは裏腹に泉の頬を涙が伝った。彼女は柱に背をもたれてしゃがみ込み、しばらくすすり泣いた。
翌朝、まだほの暗い日の出前、笹見平の若者たちは観光案内所前にぞろぞろと集まってきた。一晩中泣いて目を腫らした沼田は、いよいよ旅立ちとなり、もうぐったりしていた。
早坂がいない――と何人かが声を上げた。
「あんだけつるんでた沼田を置いていくとは、やはり薄情な奴だ」
盛江は憎々しげに言った。泉は終始黙っていた。
山の稜線に太陽が黄金色の光を走らせ、沼田は追放された。彼はしばらく塀の外の木の根元に座り込んで、お情けを求める声を上げていた。
昼を過ぎても声は続いた。夕方になって声が聞こえなくなり、誰かが行ってみると、沼田の姿はもうなかった。