京城駅(第二東京駅)
「天皇は御入城の翌十七日徳壽(とくじゅ)宮を御訪問、韓國大皇帝(李太王)皇帝、皇后竝(並)に皇太子(現李王垠殿下)に御會(会)見、同十九日には倭城臺の御旅館(総監官邸)に韓國皇帝竝に皇太子の御答訪を受けさせられ、御滞城四日、只管(ひたすら)帝室の御交驩を深うさせ給ひ、同二十日御退韓、御歸(帰)朝遊ばされた」
『朝鮮鉄道史一巻』「大正天皇御渡韓」の一部になりますが、このように、大正天皇は近代天皇で唯一韓国を訪問された方になり、外国への皇太子訪問としても、初めてのことになりました。このときのことは、初代内閣総理大臣にして、初代韓国総監を務めた、伊藤博文の言葉を収めた、『伊藤公全集第二巻』の京城駅小学校児童招待の弁(明治40年・1907年・11月17日統督官邸庭園に於て)にも掲載されています。
嘉仁親王が韓国を去られたあとに、京城小学校並びに、付属幼稚園生徒1500名を招待し、園遊会を催し、官民100余名がこれに参会した際の当日、伊藤博文自身が後丘の岩に立ち、児童に対して訓話したものになります。
「おいこら。お前たちは過般(かはん)日本の皇太子殿下(嘉仁親王)が渡韓された節、能く拝したかどうだ。(生徒中、能く拝しましたと呼ぶものあり)。宜しい」
非常に和やかな雰囲気で始まると、嘉仁親王がどのようなコース、日程で韓国を訪問されたかを語り、こう続けます。
「今日の時節は昔と違ひ皇太子ぢやからというて徒らに宮中に於て安逸に日を暮す(訳)には行かぬ。即ち外國の帝室を訪問し、見學(見学)の爲めに各地を巡視せらるゝ事は、取りも直さず其職分を盡(尽)さるゝ所以(ゆえん)である。
予も来月初めには東京に歸(帰)るに依り、當分(当分)お前たちと途中で逢ふ事もなからうが、其節は韓國皇太子をも同伴する事を頼まれて居る。殿下が再び歸らるゝ時には、お前たちはすでに大人と爲る位であろうが、韓國の皇太子が日本に遊學せらるゝ事も之れ迄にはないことで、今日は實(実)に重大な機會(機会)である。古人も百聞一見に如かずと言はれたやうに、今日茲(ここ)に来會して予の話した處(処)は永く記憶に存し、他日に至り総監がアー言はれた事もあもあるがと囘想(回想)すれば自然奮發(奮発)する基ともなるのである。
今日は恰(あたか)も一昨年日韓條約の成立した當日であるけれども、強ち之を祝すると言ふ爲ではないが、幸ひ天氣も晴朗で且かつ日曜日でもあるから、此の會を催したる次第である。生徒も職員も能く前述の趣意を諒して、後丘に遊び、辯當(弁当)でも食うて互に遊戯し、十分の歡(歓)を盡されんことを望む」