チューリップの秘密 平成二十三年五月十二日掲載

全校生徒約五十人の小野上中学校伝統の、種から育てたパンジーとチューリップの寄せ植えに初挑戦しました。小野上中は純真な子ども達が多いことから、渋川市のオアシスと言われています。三月の卒業式の頃にはチューリップは葉っぱだけでしたが、四月の入学式では見事な紅白の花が咲き始め、新入生の門出を祝いました。

国土の約半分が球根畑といわれるチューリップ王国のオランダで、十七世紀に「チューリップ狂時代」が訪れ、たった一つの球根がビール工場や広大な屋敷と交換されました。最も高価な品種は花びらの一部が変色し、美しいまだら模様になっている(ふ入り)チューリップでしたが、今ではウィルスによる病気のものだったことが分かっています。

新品種の果物の育成には十年以上かかり、チューリップも何万球の球根のうちの一球から、新品種となる球根を増やすのに十年、二十年とかかったようです。

戦前の日本は、唱歌は国がつくったことを強調するために、個々の歌に対して作詞者・作曲者を公表しない規制がありました。著作権やその後の法改正で、童謡のチューリップは誰が作詞・作曲したのかで裁判になり、近藤宮子さんというおばあさんが昭和五年に作詞したものということに決着しました。

「赤白黄色……どの花みてもきれいだな」という歌詞には「みんなに良いところがあり、弱いものには特に目を配りたい」という、宮子さんの強い願いが込められていたことを初めて知りました。

昭和五年と言えば、日本が第二次世界大戦前のとても不安な時代でした。その不安な時代に、みんなの良いところを見つめ合おうという気持ちを、この「チューリップ」の歌に込めたのです。その後、作曲者と言われている井上武士さんが、二番と三番を付け加えたと言われています。五月に入り、中学校の玄関には黄色のチューリップが中心に咲いています。

品種により、色により、咲く時期も違う。みんな違ってみんないいのです。

緑のカーテンは知恵の宝庫 平成二十三年七月二十八日掲載

ふと職員室の外を見ると、テニスのネットで作った緑のカーテンが大きく揺れました。やっと伸びてきたゴーヤーのつるが、強風で切れないかと心配して見ていると、巻きひげが伸びたり縮んだりしてネットにしがみついていました。

更に至近距離で見ると、理科の実験で使うつる巻きバネの語源と思われるコイル状の巻きひげが、途中で右巻きと左巻きが逆転しているではありませんか。調べてみると、これが何と伸縮性を飛躍的に伸ばす秘密だったのです。

植物は光を求め、できるだけ葉が重ならないように見事なまでに茎・葉を交互に、あるいは螺旋状に配置しています。木陰が涼しいのは、幹・枝・葉の絶妙な配置による遮光と、蒸散作用との相乗効果です。背の高い草は低い草に比べ光を得るのに有利です。か細い茎の小さな草は大きな草の陰になって枯れてしまいます。茎を太くして背を高くするのにも限界があります。

そこで植物は生き残るために考えます。か細い茎でも光を沢山得られる方法を。自分より大きな草や木、フェンスに巻き付いてどんどん茎を伸ばすのです。大木を支配するクズを代表格とするつる植物の誕生です。

緑のカーテンは植物の偉大な知恵の宝庫と言えるでしょう。

郷愁をそそるカラスウリ 平成二十三年十一月二十三日掲載

通勤途中、色づく小野子(おのこ)の山並みに見とれていると、輝く朱色のカラスウリの実が枯れたつるにぶら下がっている光景に出会います。幼い頃、カラスウリを投げ合って実がつぶれて中から納豆のようなものが飛び出した記憶があります。

決してうまそうではないこのカラスウリを本当にカラスが食べるのか、疑問がありました。春に黄色い花が咲き赤い実がなるヘビイチゴも、その語源に蛇が食べるからという説があります。しかし、どちらも蛇やカラスが食べているところを一度も見たことがありません。

一説によるとカラスウリは「烏瓜」ではなく「唐朱瓜」のことだと言われています。唐朱(カラス)とは唐から伝来した朱墨のことで、朱墨は卵型にかためられ、あたかもカラスウリの実の色形がそれに似ていることから付いた名だとされています。

この説に「あっ、そうだったのか」と納得してしまいます。しかし、もっともらしい説が真実とは限りません。

茎が地を這うヘビイチゴには地を這う蛇のイメージが、カラスウリには「カーカー」というカラスの鳴き声が郷愁をそそります。食べるかどうかはどうでもよく、意外と単純な発想から付いたのかもしれません。