生態系の損壊は、ある限度に達すると止められなくなる

地球サミットの5つの合意に見られるように、我々が地球の自然環境・生態系保全の重要性を認識できていることは喜ばしい限りです。そしてその合意に基づきCOP24の合意に迄こぎ着けることができたことは素直に喜ぶべきことであることに異論はありません。然るに、この喜びに水を差すつもりはありませんが、手放しで喜ぶわけには参りません。

それはCOP24が問題解決のための出発点であって終着点ではないからです。

自然環境・生態系の損壊阻止は、その技術・資金・行動面などにおいて、早ければ早いほど易しく又その後の原状回復も易しくなりますが、遅くなればなるほど難しくなり又その後の原状回復にも多くの時間や労力が必要になります。

さらに、気を付けなければならないことは、刻々と進行しつつある生態系の損壊はある限度に達しますとそれ以後は何をしても損壊の進行を止めることはできなくなり、そのまま壊滅に向かって転落して行くことになるということです。

そうなれば、人類を含む大方の生物が絶滅することは必定です。我々は損壊の程度がどれほど迄に達すればそれ以降の損壊阻止は無効となり壊滅に至るのかよくわかっていませんが、地球温暖化のみを取ってみても、既に氷河は大幅に後退し、南極・北極の氷は溶け始めていて、気候の変動や多くの生物種の絶滅が顕在化しつつあります。

この事実を考慮しますと、壊滅に向かう損壊の限度に到達するまでの時間はもう多く残されてはいないのではないかと恐れざるを得ません。つまり、我々は生態系が壊滅に向かって転落を始める前に損壊の進行を止めなければならない瀬戸際に立っているという状況にあります。

これは時間との競争を意味します。すなわち、我々の生態系への手当てが早いか、生態系の壊滅が早いか、ということです。然るに、温暖化に関わるCOP24のみを取り上げてもその合意に辿り着くまでに時間がかかりすぎています。

1960年代における公害による環境破壊の世界的認識、1972年の国連人間環境会議、1992年の地球サミットと呼ばれた環境と開発に関する国際会議、1997年の気候変動に関する国際連合枠組み条約の京都議定書、京都議定書に代わる2015年のパリ協定とそれに基づく2018年のCOP24というように、気候変動のみに関わっても半世紀を超える時間を費やしています。