弥生編
そして、大量の難民が来た。
その頃には、江の上流にある楚との交易に使われる大きなものから、江の北や近隣との輸送に使われる小ぶりなものまで、合わせて四十を超える船が集まっていたが、もっと小さな舟まで動員しても、江の北に渡すのに何往復もしなければならないほどであった。
敗残兵や下級貴族である士も混じっていたが、大夫であるロユユと同格以上の者は一人も来なかった。越王の、呉の旧支配者層に対する処置が、それほど徹底しているからであろうか。
そこに、運河や支流沿いに小舟で放った偵察隊の一つが、越軍北上の知らせを持って大急ぎで漕ぎ戻ってきた。軍旗の数だけで数十というから、一万の兵を超える大軍である。豪気なダヌも、もう戦うとは言わなかった。
我々も江の北に逃れましょう、と言う兵もいた。一帯の船は全て確保したはずであるから、北に渡って船を燃やすなり隠してしまえば、しばらくは越軍も江を渡ることはできないだろう。
しかし、越がそれだけの軍勢を北上させてきた目的は、江の北を含む呉領全域の制圧にあるに違いない。越も水の多い南の地から来ているのである。移動に使ってきたであろう船を回航するなり、王城周辺から徴発するなりして、遅かれ早かれ、江の北にやって来ると思われた。
ロユユは迷った。