江を東に下った、海にほど近いところにある故郷に戻って、平穏に暮らしたいと強烈に思った。そうして家族と共に、運を天に祈るのも一つの選択であるが、位階を示す布の冠や上衣は脱ぐことができても、南方の風俗である、家柄に相応しい顔の入れ墨は消すことができない。
かといって北に逃れても、運が開けるとも思えない。呉の支配地のさらに北は斉国だが、言葉も異なり、麦や豆を作る中原文化圏の大邦であり、呉が中原への進出を図るにあたって何度も戦を仕掛け、邑々を奪ってきた相手である。
この機に乗じて報復に出るか、少なくとも旧領を回復しようとするに違いない。ング将軍のようなよほどの有名人であればともかく、一介の大夫や兵士たちを温かく迎えてくれるとはとても思えない。
楚や呉や越といった南方諸国は、稲の栽培を基礎とする暮らしは共通しつつ、それぞれの独自の文化を誇りにしている。呉も、政治や軍の制度は中原に倣っていたし、王宮では中原の文字が使われてはいたが書記官などごく一部の者のみしか用いなかった。
考えてみれば、越軍がこれほど早く大規模に江の北を目指して来るのは、斉との国境を固めようとしているからに違いなかった。
家族親族を連れて、どこか遠いところに逃がれられればと思い、ふと、東の海の彼方に、土地が広がっていると言われていることに思い至った。全く人の居ない未開の地だと言う者も居たし、仙人や仙女が住んでいる島だという説もあった。
実際これまでにも、新天地だか理想郷だかを目指して船を仕立て、旅立っていった者たちが居る。