海賊編
ぐったりと舟へりにもたれて、一時(二時間)も流されているうちに、左手ほど近くに岸が見えた。
舟から飛び降りて、必死の思いで泳ぐ。
何度か海の水を飲んで、あまりの塩辛さにせき込みながらも、なんとか砂浜にたどり着いた。
助かった。
安堵する弥七の眼に、雨にけぶる数軒の家が見えた。
よろよろと立ち上がり、そちらに向かう。
漁村とも言えない小さな集落である。
壁に網や櫓が掛かる、浜に最も近い一軒の扉を叩くと、すぐに潮焼けした男が顔を出した。
「どうしたぁ? 手伝うで、舟を引き上げにゃ、流されてまうがね」
「もう流されてまった」
「それは気の毒だわ」
「ここはどこだが?」
「伊良湖だがぁ。ここから半里も西に行けば、その先は遠州灘だがね」
総毛立つ思いだった。三河湾を縦断し、渥美半島の先端に引っかかったわけだ。もしこの岸を見過ごしていたら、大海原に流されていた。まともな食料も水もなく、飢えと渇きで苦しみながら死ぬことになっただろう。
「まあ、中に入りん」と漁師。
狭い家の中には、女房と小さな子供が三人。
明らかに貧しいが、いつでも海で体を洗えるからか、みなさっぱりとしている。
男が「飯を炊こまい」と言うと、女房が鍋をかまどに掛けた。
鍋から湯気が立ち、魚の干物が炙られて、うまそうな匂いが漂った。
炊きあがって出された飯は、米よりも混ぜ込まれた粟の方が多いくらいであったが、貧しい漁師の家では、客人への大盤振る舞いに違いない。塩気の効いた魚の干物は、今までに食べた何よりも旨く感じられた。
弥七と共に、莚に座って飯を食う、見知らぬ漁師一家の親切に、思わず涙が出た。
「このひと泣いとる」
子供たちの中で一番大きな、六歳くらいの男の子が不思議そうに言った。それに対して漁師も女房も、特に何も言わないのは気遣いだろうか。