先日持ち込んだ作品の感想を直接聞くため、葭葉(よしば)出版・島崎の元を再び訪れた芹⽣(せりう)研⼆。
「率直に言うと出版は難しい作品です」と言う島崎に対し、芹⽣はその理由を聞かずにはいられなかった……。
たとえ難解だと言われても。
「端的に言うと、読者が読み切ってくれるか、ということです。巧みな修辞学的技法を駆使しての文章はとても芸術的です。直喩と隠喩のバランスも素晴らしい。情景描写も、きめが細かく滑らかで流れるようです。これだけの文章力をよく修得されたと感嘆しました。
ただ、現代の読者が、どこまでその美しさを理解してくれるか、という不安が残りました。わたし自身は編集者とはいえ文芸の世界で生業を持っていますので、ある程度は理解する審美眼は持っていると自負しています。しかし活字離れのこの時代、平易な表現に慣れている一般の読者はどうでしょうか。それと、表現に加えてストーリーの解釈が難解です」
「ストーリーですか?」
島崎は頷いた。
「ええ。つまりストーリーが『分かりやすいか、面白いか』と問えば、答えはノーです。わたしも出版に携わってからというもの、かなりの作品に触れてきました。それでも芹生さんの作品を読みこなすのに相当な努力が必要でした」
「難解な小説」という指摘を聞き、自然とため息が漏れた。芸術的思索には強いこだわりがあり、それを表現する結果として難解になりがちなのは自覚がある。理津子もそれを指摘した。だが、それを妥協することは自分自身の文学観を否定することになると思う。これは彼女も後押しをしてくれたことだ。
「芸術性を犠牲にして文体を平易にしたり、イージーなストーリー展開にしたりすることは、自分を否定することになると感じます」