第2章 社会

地域住民で支える医療

『手のひらのような町で住民と織りなす医療と福祉』。そんなタイトルの1冊の本が送られて来ました。先年亡くなられた岐阜県旧上矢作町(現恵那市)の国民健康保険上矢作病院名誉院長の大島紀玖夫先生の奥様からです。

手のひらのような町と表現された旧上矢作町は長野県、愛知県に接する県境の町であり人口2500人程です。そんな生まれ故郷の小さな町で昭和50年に病院を創り上げたのが大島先生です。

高度経済成長期の当時住民は都会へと出て行き5000人あった町の人口は3700人に減少していました。最寄りのJRの駅まで小一時間かかるこの町には入院医療はなく「あの時に早く手当てをしていれば命を落とさなかったのに」「入院できるところがもう少し近かったら入院医療を受けさせてやれたのに」。そんな声が満ちていました。

そんな中で立ち上げた地域の病院。話し合いの中で「新しい町づくりは命を育てる病院から」「地域医療は住民こそ主人公(みんなでつくり、みんなで育てる、わしらの診療所)」。そんなスローガンが生まれました。

そして行政担当者から「住民を頂点とし医療と行政のしっかり結びついた姿、すなわち三位一体医療こそ我われの求める医療の進め方である」との考えも示されました。まさに地域が一体となって創り上げ支えている病院です。

とは言え医師確保など決して病院運営は楽でなく大島先生はご苦労されたと思います。

「赴任した医師には必ずそば打ちとアユ掛けをマスターさせた。大学の医局でそばを打って皆さんに振る舞った。シーズンには入院患者さん全員に職員みんなで掛けたアユを食べて頂いた」。