2 玄米スープの開発に成功

玄米スープとの出合い

私は多くの食品を開発してまいりましたが、なかでも玄米スープの開発はいろいろな意味で最大の難関でした。ピザハウスに玄米?とけげんに思われた方もいることでしょう。まず、なぜ玄米なのかをお話ししなければなりませんね。

私には双子の弟がおりましたが、二人とも一歳で亡くなりました。後日母が上京して診察を受けたところ、「脚気」と診断されたのです。「脚気」の母乳を飲み続けたのですから、乳児の死も当然のことだったのです。

弟たちの死因がわかってからは、母は玄米を命綱のごとく大切にして、いつも一口五十回も嚙んで食べていました。そのせいか、九十歳で大往生となるまで無病息災でした。

そんな母を見て育ったのですから、私が玄米党になるのは当然のことなのでしょうね。弟たちが亡くなったとき私はまだ三歳でしたので、ほとんど記憶にありません。後に、脚気が原因だったと母に教えられたのです。私は、脚気のお母さんを持つと子どもは死ぬのだと思い込み、「お母さん、脚気にならないで。玄米で治してね」と必死に頼んだものです。