第一章 三億円の田んぼ
(八)
「んだんだ。こっちでは、一緒に暮らしてたんだす。あいやー、こっぱずがしいっすなあ。がはは」
「ひょえーっ、それは意外な展開だ!」
「康一さんは、それはそれは優しい方でしてなあ。葉子さんも美人さんだすから、あの人が、ここにいたら、きっとタダではおいとかなかったに、違げえねぇっすよ」
「まりえさん、何言ってるんすか。おやっさん、自分たちには、とことん厳しかったですよ。二言目には、すぐ出てけって」
大野副杜氏は、葉子たちに向き直ると、訴えるように言い募った。
「あるときなんか、掃除し終わったばかりの部屋を、掃除しとけって言うから。もう済ませてますと口答えしただけで、俺の言うことば聞けねえなら、出てけって怒られて。酒造りの腕は、いいけど。それはもう頑固で、怒ってばかりだったんですよ」
「不思議だすなあ。康一さん、おらにはとことん優しかったんだすよ。ずいぶんよくすてもらいましたぁ。毎冬、ここで一緒に働かせてもらうのが楽しみだったんすなあ」
「岩手では、一緒に暮らしてなかったのかい?」
食後の茶を啜(すす)りながら、タミ子が尋ねる。まりえは、寂しげに微笑むと、うなずいた。
「互いの家が、あったすから。田舎は、人目が厳しくて。だから、冬。ここに来るのが、それは楽しみだったんだす。岩手では、田んぼ仕事の合間に、立ち話するくらいだっただす」
「おやっさん、農業も腕利きで。今朝方、毒をまかれた田んぼ。去年の春から、おやっさんが面倒見てたんです。土作りから、手がけてました。去年の夏なんて、自腹で岩手から見に来てましたよね」
「だすだす。あんときは、おらも一緒に連れて来てもらいましたっけ」
ふっと明かりが消えるように、まりえと大野副杜氏は黙りこみ、どこか遠くを見る目になった。沈黙が重く続いたが、二人とも口を開かない。しびれを切らした葉子が、口を開こうと居住まいを正したとき、まりえがしぼり出すように声を出した。
「実は、おらの旦那さんも、タンクに落っこちて死んだんだす」
「ええっ?! 旦那さんっ?」
まりえが、こっくりとうなずいた。
「もう、二十年くらい前のことだす。秋田から嫁に入った、新婚早々の冬。酒造りに出て、落っこっちまったんだす。んだから、ほとんど、一緒に暮らすことはなかったんだすよ」
葉子たちは、手を動かすのをやめ、黙ってまりえの話に耳をそばだてた。
「康一さんが、それは責任感じてくれて。おらにそれはそれは、親切にして下さったんだす。こちらの賄い仕事も、康一さんが紹介してくれたんだす」
「それで、杜氏とそういう仲に?」
「いんや、葉子さん。そんときはまんだ。そんただことには、なってなくて。康一さんの奥さんが、ご病気で亡くなってから。おらが、康一さんの身の回りのお世話をさせてもらってからなんだす。どちらからともなく、そういう関係になっちまったんだすよ」