第一章 三億円の田んぼ

秀造が、桜井会長と葉子たちを見つけて、歩み寄って来る。
「桜井会長、すみません。お恥ずかしいところを、お見せしまして」

とんでもない、と桜井会長。
「難儀ですなあ。私も経験あるからわかりますよ。農家さんが、純朴だなんて、幻想ですよね」

「まったくです。なんで、こんな目に遭わなきゃいけないんだか」
小さくため息をついて、秀造は手を差し出した。
「ようこそおいで下さいました」

桜井会長と、力強く握手した後、秀造は葉子たちに笑顔を向けた。

「遅かったのは、桜井会長をピックアップしてくれてたからですね。ありがとうございます」

「それは、そうと。今の若いデブは何なんだい? 金目当てのクレーマーじゃないか」

「おかあさん、そうなんですよ。今の松原さん。毒をまかれた田んぼの隣農家なんです。前々から、なんやかんやと、難癖付けに来るんです」

「小遣い稼ぎみたいだったねえ。金を握らせると帰るのかい?」
タミ子の目は鋭い、秀造は肩をすくめた。苦笑いしてみせる。

「田んぼをやってる妹さんは、いい人なんですけどねえ」
諦めたように、ため息をついた。

気を取り直したらしく、桜井会長と葉子たちを、屋敷へと誘ってくれた。
「桜井さん、どうぞ。取り込んでおりますが、お茶を召し上がって行って下さい」

秀造の言葉通り、酒蔵の敷地内は、騒然としていた。

烏丸酒造のユニフォームは、パンツと帽子が淡い水色。ジャケットがネイビーブルーだ。きっちりアイロンがきいた作業着を着て、社員たちが敷地内を走り回っている。

ケースに詰めた一升瓶を、フォークリフトで運び、トラックに積み込む。米袋を運ぶフォークリフトが行き交い、すれ違った。日本酒が出荷され、原料米が運び込まれている。

そしてそれらを、さりげなく監視している警官たちの姿も、見え隠れしていた。

広い敷地内には、酒蔵と隣接して、烏丸家の屋敷も建っている。垣根と簡素な門で仕切られた中に、瀟洒(しょうしゃ)な庭があった。そこには、結界が張られてるかの如く、蔵の喧騒が伝わってこない。建物は築百年以上と思われる、重厚な日本家屋。平屋建てだ。床はもちろん、桟の上にも埃一つない。

風通しのいい座敷に通されると、広い庭が見渡せた。手前の池に泳ぐのは、鮮やかな錦鯉。遠近感を出すため、巧みに植えられた左右の桜の木と梅の古木。庭の隅には、ひときわ高く巨大な欅(けやき)の大木がそびえていた。

「樹齢四百年、創業当時の欅です」

葉子が、大木を見つめているのに気づいたらしい。秀造が、教えてくれた。