二人はよく似ているし、同じ衣裳を身につけている。これでは双子の姉妹といってもおかしくはない。まだ幼子とはいえ、二人にはアンナ似の美しさが漂っている。
だが奇妙ではないか? 画集の末尾に記された略歴には、一九六三年、娘ユーラが生まれるとしか書かれていなかった。子供は一人のはずだ。
おまけに、『必要に応じてこの写真もお使いください』とは、いったいどのような意味なのだろうか? だが、どう考えても奇妙なのは、何の目的でコジモはこの写真を自分に手渡したのか?
いや、渡したのではないのだろう。真実は絵葉書に紛れて秘めた写真を間違って手渡してしまったのだ。コジモは別れ際に確かこう言っていた?
『いやなに、たいしたものではございません。ホテルにでも帰ったら見てくださいな。それにしても、あんた、よほどフェラーラの絵に惚れ込まれたようですな? 何かあれば遠慮なくご連絡ください。先ほどの名刺のところにおりますから』
フェラーラが画商コジモ・エステに家族写真を渡すとは、二人はかなり親しい関係だったようだ。嘘の代償にしては何ともおかし過ぎる。事実はやはりコジモの大失策だろう。
ふと我に返ると、まだ心地と連絡が取れてないことに気がつき、ロンドンに電話を入れると、今度はすぐにつながった。心地はちょうど先ほど帰ってきたところだと言いながら、磯原の提案を聞くと、少なからず驚いた様子だった。
「なぜ磯原さんが俺を? 俺は彼の仲間や弟子ではないぞ。磯原ファミリーには大評論家の大原智道を始め、日本美術界の蒼々たるお歴々がいるじゃないか。二、三日考えさせてくれないか?」
心地は一気にこう喋って電話を切った。磯原の提案が予想外の出来事だったと見え、ピリピリした様子が携帯から伝わってきた。そのためフェラーラの絵の件も、例の家族写真の件も一切話す余裕などなかった。
※本記事は、2020年8月刊行の書籍『緋色を背景にする女の肖像』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。
【登場人物】
宗像 俊介:主人公、写真家、芸術全般に造詣が深い。一九五五年生まれ、46歳
磯原 錬三:世界的に著名な建築家一九二九年生、72歳
心地 顕:ロンドンで活躍する美術評論家、宗像とは大学の同級生、46歳
ピエトロ・フェラーラ:ミステリアスな“緋色を背景にする女の肖像”の絵を26点描き残し夭折したイタリアの天才画家。一九三四年生まれ
アンナ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラーの妻、絵のモデルになった絶世の美人。一九三七年生まれ、64歳
ユーラ・フェラーラ:ピエトロ・フェラーラの娘、7歳の時サルデーニャで亡くなる。一九六三年生まれ
ミッシェル・アンドレ:イギリス美術評論界の長老評論家。一九二七年生まれ、74歳
コジモ・エステ:《エステ画廊》社長、急死した《ロイド財団》会長の親友。一九三一年生まれ、70歳
エドワード・ヴォーン:コジモの親友で《ロイド財団》の会長。一九三〇年生まれ、71歳
エリザベス・ヴォーン:同右娘、グラフィックデザイナー。一九六五年生まれ、36歳
ヴィクトワール・ルッシュ:大財閥の会長、ルッシュ現代美術館の創設者。一九二六年生まれ、75歳
ピーター・オーター:ルッシュ現代美術館設計コンペ一等当選建築家。一九三四年生まれ、67歳
ソフィー・オーター:ピーター・オーターの妻、アイリーンの母。
アイリーン・レガット:ピーター・オーターの娘、ニューヨークの建築家ウィリアム・レガットの妻。38歳
ウィリアム・レガット:ニューヨークでAURを主催する建築家。一九五八年生まれ、43歳
メリー・モーニントン:ナショナルギャラリー美術資料専門委員。一九六六年生まれ、35歳
A・ハウエル:リスボンに住む女流画家
蒼井 哉:本郷の骨董店《蟄居堂》の店主
ミン夫人:ハンブルグに住む大富豪
イーゴール・ソレモフ:競売でフェラーラの絵を落札したバーゼルの謎の美術商