【前回の記事を読む】昭和13年、祖父に届いた召集令状。出征先の中国で、幼馴染や同郷の友が目の前で次々と倒れていき……

初回出征のあらまし

四月二十九日は奉新の城内にて迎えた。以後、法城熊山・官林山付近に数回出動し、敵を撃破しながら、夏季は奉新に駐留。この間、連隊予備として本部近くの民家に滞在した。

九月一日ごろより、上流から渡河した敵をまず南方・高安城西方に追い払い、続いて反転し、北方の九嶺山系・南門我橋方面に進出して敵を攻撃。大隊長指揮のもと、二個中隊をもって大きく敵背後に迂回し、奇襲を敢行。これにより、師団の前進が容易となった。

こうして贛湘(かんしょう)作戦を終え、十月十日ごろ、奉新に帰還。間もなく敵は反攻の構えを見せ、奉新周辺に迫ったので、十月十四日夜より行動を開始し、十五日には官林山付近の敵を圧迫。翌十六日にはこれを北方の法城熊山方向へ撃退した。この戦闘において、大隊副官は戦死、大隊長は負傷。十一名の中隊長のうち木庭は重傷を負い、私も背部に貫通銃創を受けた。

この負傷により奉新の野戦病院に収容され、安義野戦病院、九江陸軍病院、上海陸軍病院を経て、昭和十五年二月に内地送還。小倉陸軍病院、熊本陸軍病院、日奈久療養所にて療養の後、同年九月に召集解除となり、帰郷した。

孔村高地から馬廻嶺へ

八月三十一日、夕影が湖の上に迫る頃、遡上してきた我々の眼に、大きな山を背後に控えた街の遠景が映った。水際には鉄条網の杭が並んでいた。

真夜中、船は静まりかえった街に接岸した。あたりは全くの闇。大きなコンクリート建物の横らしい。トラックが待っていた。すぐに乗り込むとトラックが動き出した。赤いライトが一瞬点滅し、真っ白い煙のような埃の中を走っていった。

山の下で夜が明けかかる頃、トラックは土壁の貧しい一軒家の前に停まった。妙智舗という場所だった。下車して朝食をとる。右手の家の上の畑に、十数名の敵の屍体があった。はるか遠くから、波濤(はとう)のような、時折雷のような音が聞こえる。