まえがき
「来たか! 来たか! また太かごつなったなぁ(大きくなったなぁ)」
私が横浜から熊本に帰省するたびに、祖父は力強い腕で私を抱き上げ、大きくて優しそうな目を細めながら、いつもそう言って迎えてくれました。
私が大きくなって抱き上げられなくなっても、肩をガシッと掴んで、同じように出迎えてくれました。
福島金物店。
熊本県宇城市松橋町(まつばせまち)にある、土間の香り漂う店内には、大小様々なサイズのネジ・釘・蝶番などが様々な大きさの紙箱に入れられ、工具や生活雑貨などと共に何列もの棚に所狭しと並んでいました。
店の奥には住居が続き、その境目にある畳敷きの小上がりには大きな木製の火鉢が鎮座しており、祖父はいつもそこで木のパイプをシュポシュポと美味しそうに吸いながら、お客さんと談笑していたものです。その光景を、私は今でも鮮明に覚えています。
そんな祖父があるとき、祖母手作りの大好きな梅酒を飲みながら、滅多にしない戦争の話をしてくれました。
「自分は機関銃の中隊長で、何挺もの機関銃を並べてダッダッダッと撃つのを指揮していた」
「頭に敵の弾が当たって、鉄兜の中を通って外に出ていった」
「首の付け根を撃たれたが、奇跡的に致命傷にならずに弾が背中から抜けていった」
「腰を撃たれたが、弾が腰の拳銃に当たって、銃身が曲がっただけで済んだ」
中学生の私にも分かるように、実際に撃たれた傷口を見せてながら話してくれたのです。
私は、昔の機関銃は連射速度が遅かったのだなぁ……などと思いながら、その時は聞いていました。
しかし、私が大きくなってからは、祖父は戦争の話をあまりしなくなりました。そして私も、典型的な戦後教育を受けて育ったこともあり、祖父に戦争の話を聞くような気持ちになりませんでした。
そのことは今でも後悔しています。むしろ、「日本人は帝国主義による侵略戦争を行い、周辺国に残酷な仕打ちをした悪い国なのだ」と教えられていたため、戦争の話を聞くことはタブーのように感じていたのです。