魂の試練
勇の注射器から塩化カリウムが検出されました。心臓の動きを強制的に止める劇薬です。しかも、人は死ぬと細胞からカリウムが血液中に溶け出すため、後からでは注射されたものか死後変化か見分けがつきにくく、証拠が残りにくいのです。
ひょっとすると、勇はほかの患者にもこれを打っていたかもしれない……。いまとなっては、もはや闇の中です。
私の行為は正当防衛か過剰防衛か、裁判で争われました。少年を救う緊急の行動という点では正当でしたが、検察は私がリストン切断刀という「強い武器」を「背後から使った」点を強調しました。
私にもわかりません。少年を救うという大義を超えて勇に「天罰」を加えたのか。
私は殺人犯です。しかも、あれだけ命に拘ってきた医師なのです。被告人質問のとき、私は弁護士との事前の約束を破り、「自分に殺意がなかったとは言い切れない」と答えました。法廷はどよめきました。
結果として過剰防衛になりました。刑期は二年半で、執行猶予はつきませんでした。正当防衛ならおそらくついたであろう執行猶予の可能性を私は自ら放棄したのです。
人を殺したのです。私の魂は服役という試練を望んでいました。
そのページはそこで終わっていた。麻田はほうじ茶に口も付けないまま、ページを繰った。つぎは見開きが白紙のままだ。さらにめくると、由那へのメッセージがあった。大きさも筆圧もバラバラの文字がならび、文字の列も蛇行している。ベッドに寝たまま書いたのかもしれない。
由那ちゃんへ
ひとつお願い。急がないんだけど、この手記をモロッコで自費出版してほしいの。アフリカのモロッコよ。私のデスクのひきだし(左下の広いやつ)に昔から貯めてきた写真があるから、手記と写真で本にして。
急がないと言ったけど、期限はあるわ。二十年以内。私は来世モロッコに生まれるようなの。でも、どんなに急いでも二十年はかかるわね。
人は前世の苦しみを魂に刻みつけて次の生を受けるの。来世の私は、人殺しという、とんでもない傷を負って生まれる。でも、この手記に出会えば、苦しみの源泉がわかる。そして魂の仕組みを知り、前進できるのね。
世の中に偶然はないのよ。すべて必然。来世の私は、必要ならこの手記に出会うし、必要なければ出会わない。どちらかは、いまはわからないの。
短い間だったけど、あなたといた時間はとても楽しかったわ。
ありがとうございました。
次回更新は11月10日(火)、11時の予定です。
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