義元を討ち取るための絶好の機会をうかがっていた信長は、雨がやみ始めて空が晴れた瞬間を逃しません。槍を手に取り、「いざ、かかれ! 狙うは今川義元の首一つ!」と突撃を命じます。
本陣を急襲された今川軍は、弓・槍や旗指物(はたさしもの)が入り乱れて大混乱に陥り総崩れとなります。そして、ついに今川義元は討ち取られました。戦後、信長は勝利へのお礼として、後に「信長塀(べい)」と呼ばれる土と石灰を油で練り固め、瓦を積み重ねた重厚な土塀(築地塀)を熱田神宮に奉納します。
これまで今川軍に押され続けていた織田信長が、約十倍の兵を持つ東海随一の大大名・今川義元を破った桶狭間の勝利は、信長の名を一躍、全国にとどろかせました。この戦いは、信長、そして織田家にとって運命を切り開く大転換点となったのです。
当時、尾張国の北方・美濃国を治める斎藤氏と交戦を続けていた信長は、東の三河を安定させて斎藤氏との戦いに集中するため、桶狭間の戦いの翌年の永禄四年(一五六一)初頭、三河国を治める松平元康と同盟を結びました。
元康は今川氏の人質として駿府にありましたが、今川義元が討たれたことをきっかけに、信長との提携へと大きく舵を切ったのです。同盟関係となった信長と家康は連携を取りながら勢力を拡大していきます。
森部の戦い――「戦下手」有楽斎の苦い初陣
永禄四年(一五六一)五月、斎藤道三の息子・義龍(よしたつ)が突然亡くなります。家督を継いだのは、わずか十四歳の道三の孫・龍興(たつおき)でした。
信長はこの機会を逃しません。織田軍は木曽川を渡り美濃国に攻め込み、森部(もりべ)(現在の岐阜県安八町)で斎藤軍と激突しました。
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