はじめに
私は歴史を愛し、日本各地の神社仏閣や庭園を訪ね歩きながら、そこに刻まれた歴史上の人物一人ひとりの生き方や物語に触れ、思いを巡らせてきました。そうした旅のなかで、二千年以上にわたり積み重ねられてきた先人たちの知恵や歩みを、より多くの方々と分かち合えたなら、どれほど意義深いことだろうか。
その思いから、これまで数多くの歴史物語を綴ってきました。また、旅行の企画立案に携わり、さらには歴史上の偉人たちから学ぶ企業研修にも関わってきました。
その延長線上で、今回、織田信長の弟として生まれ、のちに剃髪して「有楽斎(うらくさい)」と号した織田長益(ながます)という人物の物語を書き始めました。
戦国という激動の時代にあって、多くの武将たちが、武力や知略、そして時には経済力を駆使して争い続けた結果、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康という三英傑の手を経て、約百五十年に及ぶ戦乱の世は終息し、「天下泰平」が実現しました。
戦国時代を語るとき、私たちはしばしば、戦場を駆け、天下を争った武将たちの姿に目を奪われがちです。
しかし、有楽斎は「刀」ではなく、「和」をもって時代と向き合い、人と人とを結びながら歴史の流れに関わり続けた、稀有な存在でした。
私自身が有楽斎に関心を寄せるようになったきっかけはいくつかあります。
愛知県犬山市に、有楽斎が晩年に完成させた国宝の茶室「如庵(じょあん)」が今も静かに佇んでいます。そのこともあって、愛知県民である私は、有楽斎という人物を身近に感じていました。また、有楽斎が創始した茶の湯・有楽流が、四百年の時を超えて受け継がれ、彼の生きた時間が今に確かにつながっていることを実感させてくれます。
そして何より、有楽斎の生き方そのものが、変化の激しい現代を生きる私たちにとって、多くの示唆と学びを与えてくれるのではないかと感じたことでした。
彼の足跡を辿り、京都・建仁(けんにん)寺および「如庵」が建てられたその塔頭(たっちゅう)・正伝永源院(しょうでんえいげんいん)を訪ね、また、犬山市の有楽苑に移築された「如庵」を間近で見学し、さらに有楽流の茶会にも参加しました。
各種文献や資料を通して、有楽斎と彼を取り巻く人々に触れてきた積み重ねが、本書を書き進める大きな原動力になりました。